「灘コロンビア」の思い出(その3)
灘コロで使うサーバーは旧式のものを使用しており、内部のチューブは直径9ミリ。これはこの種のサーバーとしてはかなり太い。そして長さは12メートルのものを二つ連結してあり、計24メートルの長さをビールが通過していく。
当然、コックを開けると、かなりの勢いで多量のビールが注がれることとなり、そのコントロールは難しい。昨今のディスペンサータイプのサーバー(ちなみにチューブ径は3ミリで長さは1メートル程度)のように、ゆっくり注がれるビールをグラスの壁を伝わせるように注ぐ、ということができず(そもそもそんなことをしたら不味いビールになってしまう)、上手に注がないとあっという間に泡でいっぱいになってしまうからだ。したがって、グラスのサイズが小さくなればなるほど注ぐのは難しい。
ところが灘コロでは標準のビールをタンブラー(435cc)で供し、決して大ジョッキなどは用いなかった。
ビールは美味しいうちに飲みきれる量で、という新井さんの信念があったのだろう。実際、大ジョッキを次から次へと空けるほどの「うわばみ」は平均的日本人には少ない。
灘コロのビールにはこのタンブラーよりも更に容量の少ない足つきのゴブレットもあった。
ゴブレットに注ぐときの新井さんは、必ずと言っていいほど、「こういうサイズの小さいグラスの方が、注ぐのは難しいんですよ」ということを前ふりで口にした。
そしてそんなことを口にしつつも、鮮やかな手並みでゴブレットに適度な泡の量のビールを注いでみせ、ついでに泡にマッチ棒をつきたててみせたりもした。もちろんマッチ棒は微動だにしない。日本一のビール注ぎの名人の面目躍如たるところか。
ところで、灘コロには驚くなかれ更にもうワンサイズ小さな、それこそワイングラスのような小さなゴブレットも存在した。
これは正規のメニュー、という訳ではなかったようで、新井さんの興が乗った時にしか目にしていない。注ぐのに大変な技術がいる割には一口で飲み干せてしまうような量だったから、商売用ではなく、一種のエキシビション用のグラスだったのかもしれない。
だが、これほどに神経を集中して注いだビールが不味かろうはずがない。
一度、初代「食いしん坊バンザイ」の故・渡辺文雄氏が来店していて、帰りしなに新井さんからこの小サイズゴブレットのビールをふるまわれたことがあった。
渡辺氏は立ったままでこのビールを一息に飲み干すと、
「こりゃあ、うまい!」
と、店中に響き渡るような大きな感嘆の声を発した。(この項つづく)