「灘コロンビア」の思い出(その1)

 「灘コロンビア」、通称「灘コロ」。今は亡きビール注ぎの名人・新井徳司氏のビアホールである。

 店そのものは今も八重洲にあるらしいのだが、経営者も変わり、現在はまったく別の店となっている(追記:その後、店そのものもなくなった)。

 伝説の「灘コロ」はもう我々の思い出の中にしか存在しない。

 

 椎名誠氏の著作によってその存在を知ったこの店であるが、それまで一人で酒場に足を踏み入れたことのなかった私が、その後も足繁くこの店に通うようになったのは、ひとえに新井さんの優しい笑顔に心が和まされたためだと思う。

 伝説のビール注ぎの名人は、接客に置いても一流であった。新井さんは常連の客だろうが新規の客だろうが、分け隔てなく温かい笑顔で接してくれたのである。

 その上ビールも旨いときては、これで繁盛しないはずがない。平日の夕方は、開店と同時にカウンターはすぐ満席となった。

 

 さて、私がこの店に一人で通うようになったのは理由がある。新井さんは、話の弾んでいる客の会話に割って入ったりはしないが、カウンターで手持ち無沙汰にしている客がいると、自分から色々と話しかけてビールのことを教えてくれるのである。特に、店が比較的混雑しない土曜日の開店直後が狙い目であった。

 

 新井さんが最初に教えてくれたのは、飲み残しビールの不味さについてであった。

 3杯目だったか4杯目だったか、ややピッチの落ちてきた私のグラスの底の、2センチほど残ったビールを指差しながら、新井さんは言った。

 「もう一杯飲むでしょ?」

 「ええ。」

 「じゃあねぇ、そのグラスのビールをそのままにしておいてください。」

 「?」

 新井さんは新しいタンブラーを手に取ると、ビールを注ぎ始めた。

 新井氏の注ぎ方は2段注ぎで、最初に勢いよく注いでから、次に上の方のキメの粗い泡を特製ナイフでカットし、もう一度注いでフィニッシュ。その間約10秒。泡の量は多くはないがあくまでもキメ細かく、マッチ棒を突き刺しても、沈むことなく立つ。

 「おまたせー」

 注いだばかりのビールをカウンターに置くと、新井さんは促すように言った。

 「さっ、ググッーと飲んでみてください。」

 では、とばかりに、いつも通り唇でクリーミーな泡を押しのけて、その下のビールをぐっと口から喉へと流し込んだ。うん、うまい。すると新井さんは今度は先ほどの飲み残しビールを指差して言った。

 「じゃあ、今度は続けてそれを、匂いをかいでから飲んでみてください。はい。すぐに。」

 言われるままに飲み残しのタンブラーに鼻先に持ってくると、何とも臭い。続けて液体を飲むが、これまた不味い。先ほどまで美味しいと思って飲んでいたビールがこんなものであったとは。

 「ううっ」

 「ね、美味しくないでしょう。」

 驚く私に新井さんは続けた。

 「ビールはね、空気に触れるとどんどん酸化して美味しくなくなっちゃうんですよ。だから、ビールの注ぎ足しをするということは、残ったこの不味いビールに新しいビールを混ぜてしまうということなんです。」

 なるほど。それまでもビールの注ぎ足しは良くない、という話は聞いていて、漠然と知った気でいたが、このように実施で説明されるとその理由がはっきりとわかった。それと同時に、ビールはだらだらと時間をかけて飲まず、美味しいうちにグイグイ飲むものだということも。

 改めてビールを早いピッチで飲み干し、おかわりを注文する私を、新井さんは満足そうに見て笑った。(この項つづく

 

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