「灘コロンビア」の思い出(その2)
新井さんはさまざまな「実験」で、ビールの奥深さを教えてくれた。
例えば、巷のビアホールのビールが何故美味しくないか、という証明。
「もう一杯飲むでしょ?」
これが合言葉。これはもちろん有料。この注ぎたての旨いビールがリファレンスということになる。
続いて新井さんは注ぎ方を変えたビールを用意する。こちらは少量で、当然勘定にも入っていない。
「さあ、ググッーと飲んでください」
旨いリファレンス・ビールを言われるままに喉に流し込む。ウマい。すかさず新井さんは、
「はい、じゃあすぐに今度はこっちを同じように飲んでみて。」
指示されるままに、注ぎ方を変えたビールを同じようにググッーと飲もうとする。
が、飲めない。喉をすいすいと入っていかないではないか! まさしくそれが巷間で「生ビール」と呼ばれているものであった。
新井さんは注ぎ方によって味が変わるのは、炭酸ガスと泡に関係があることを教えてくれた。
上手に泡を立てると、苦味がとれてすっきりした味になること。また、炭酸ガスも適度に抜けて、腹にたまらないこと。
逆に、注ぎ方の悪いビールは、苦くて味が重い上に、すぐに腹が膨れてしまうこと。
「他所のビアホールだと、こんなにすいすいとたくさんは飲めないでしょ?」
5杯目だか6杯目だかのビールを飲む私に言った。確かにそうだ。ビールばかりをこんなには飲めない。たいていは途中でチューハイ等の他のアルコールに切り替えていた。
一度、こんなことがあった。
当時評判であった某ビアホールに足を運んだ後のことである。そこで飲んだ生ビールがあまりにも美味しくなかったので、口直しに灘コロに足を運び、いつもの美味しいビールを飲みつつ、「さっきのビールはおいしくなかったなぁ!」と、新井さんに愚痴をこぼしたのである。
すると、新井さんは頷きつつもサーバーを駆使して、タンブラーに少量のビールを注いでみせた。
「こんな感じですか。」
差し出されるままにそのビールを口にして驚いた。
「そうそう、この味だ!」
それは今ほど悪口を言っていた、某ビアホールのビールそのものであったのだ。まるで魔法を見ているような気分であった。
新井さんは殆どの店がサーバーを使いこなせておらず、かえって不味いビールにしてしまっていることを指摘し、
「店に入って、生と瓶があったら、迷わず瓶ですよ。」と結んだ。(この項つづく)