<指導者の資質>

自分が思い描く結果・成果が得られない時に、指導者として共通の想いが頭をもたげる。

「こんなに野球に対して時間を費やし、犠牲にしているのに・・」
「気苦労ばかりで、ストレスが溜まる。何のためにやっているのか・・」
「自己犠牲ばかりで、金銭的にも恵まれていない・・」


などなど、現状に対しての不満が湧き出てくる。
そして自分の指導者としてのモティベーションが低下し、普段の行動がちょっとずつずれてくる。
選手に対して、自分の感情がストレートに出てしまったりして
感情が先行するようになる。
高圧的な振る舞いが多くなり、選手に対して
『恐怖のモティベーション』で選手を操る。

悪循環

潜在意識で良くないと分かっていながら、比較的簡単な恐怖感で操る手法に走ってしまう。
ここで、自問自答してみる。

「俺が指導者の道に入った時に、どんな志でスタートしたか?」
「選手と接する喜び、何かを伝えられる喜びが大きいからこの世界に入ったのではないか?」
「指導者の道を選択した時に、すでに時間の犠牲は覚悟していたはずではなかったか?」
「お金より、子供たちに野球を通して人間力をつけさせるためにやり始めたのではないか?」
「勝つことだけが目的だっただろうか?結果だけがすべての考え方でスタートしたのか?」

などなど、自問自答して初心に帰ることは、自分がどのレベルにあっても指導者として考えると
必要なことである。どうしてもマイナスの現状にあると思い込むと、思考の悪循環が起きる。

考え方の整理や、初心に戻ることでモティベーションは上がることだろう。
でも、その時点で偏った指導法は、それだけでは修正できない。
じゃ、どうすれば良いのか?

バランス感覚を取り戻す

これに尽きる。
例えば、根性論に傾き過ぎて技術先行型の指導になっていたのならば、メンタルトレーニングなど
を積極的に取り入れ、
バランスの修正は不可欠だ。
逆にメンタルトレーニングだけに頼ってしまってもいけない。
根性論は、否定しない。必要であると思う。大切なのは「バランス」である。
先程「恐怖のモティベーション」の話が出たが、否定はしない。必要である。
でも誉めることによる効果も認識しつつやることも重要なことではないか
ようは、バランス感覚、他との割合が大切なのである。

否定しない


これが大切なのではないか?
根性論やメンタル論、すべての考え方を否定しないで肯定的に吸収する。

「昔の指導方法」
「自分の指導方法」
「あるべき姿」

といった、先入観、固定観念は、指導者にとって1番やっかいな足かせとなる。
自覚し行動に移せた時に、マイナス思考、モティベーションの低下は防げる。

人間万能ではない!

極めたいとは思うが、たぶん一生極められないと思う。
なぜならば、
人間一生進歩していく動物だからである。終わりはないのである。
そのことに気づき、「一生学ぶ」といった気持ちになれれば道は開ける。
暗闇から一途の光が見えてくるはずだ。


今一度、肩の力を抜いて歩んでいきたいものだ・・・