ジギタリス




今朝の朝食はトーストにバター、ベーコンエッグにレタスのサラダ。
マルクルは何度言っても聞かないので、じゃがいもはペーストにしてこっそりとポタージュに混ぜてみた。
ハウルはその様子を横で面白そうに除きながら、大人しく・・・いやむしろ今では喜んでフライパンの下敷きになっているカルシファーの口にソフィーから受け取った卵の殻を放り込む。その様子を見て彼女は言った。


「カルシファー?あなたそんなものでおなかが膨らむの?」
「おいら、何でも食べるよ。食べられるものならね!」
「そう。好き嫌いが無いなんて偉いわ。マルクルに自慢できるわね」
「そ、そうっ・・・?そう・・・!?そうかなぁっ?」


ソフィーの言葉をまともに受け止めて舞い上がっているカルシファーに彼女は惜しみない笑みをカルシファーに送りつつも、


「カルシファー。今は中火でお願いね?あなた器用だからそんなことは朝飯前でしょう?頑張って!・・・・・・あ、胡椒とって」


と、隣でサラダで使用するレタスの端を齧っているハウルに左手を差し伸べる。
すると彼も手馴れたもので、鮮やかな手つきで素早くソフィーの要望にこたえる。
その様に最初は見惚れたものの、三日目ともなれば次第に慣れてくる。
今日は視線は向けずに言葉を送った。


「すごいわハウル。あなたって何に対しても玄人ね」
「そうさ、僕は器用だよ。君の事に関して以外はね」
「気障な台詞も玄人ね」


おそらくは本気で言っているであろうが、それはそれで呆れてしまう。
ソフィーは視線をフライパンからわずかに斜め右上へと逸らした。
そしてそのままそれを落下させ、鍋の方へ。
ハウルも自動的にソフィーと同じ視線の先へと合わせる。
彼は彼なりに彼女を手伝っているつもりらしい。
横で堂々とつまみ食いをしながら。


「いい匂いだね。何?」
「ポタージュよ。・・・すりつぶしたじゃがいもたっぷりのね」
「ルール違反じゃない?」
「そんなこと言わないで。これでも私なりにマルクルの好き嫌いを無くそうって頑張ってるんだから。今のうちに直してあげないと、大きくなってからきっと馬鹿にされちゃうのよ?そんなの可愛そうだわ」
「どうりで最近じゃがいもの需要が増えていたわけだ」
「これならおばあちゃんも楽に食べられるでしょう?みんなと違うメニューって、それなりに傷つくものなんですって」
「・・・ソフィーのほうがよっぽど玄人だね」


微笑を浮かべて言う彼に、ようやくソフィーは視線を向けた。
・・・そこでようやく彼女は眉をしかめた。


「ちょっと。台所でつまみ食いしないで頂戴?お行儀が悪いわよ」
『あなたは年上なんだからしっかりした見本にならないと・・・』


・・・ソフィーのお説教に、途中からハウルの朗々とした響きがはもる。
絶句して固まるソフィー。
してやったりと微笑むハウル。

しばらくの間。


「・・・もう、ハウル!」
「あはははははっ」


怒鳴るソフィーにハウルの心底楽しそうな笑い声。
そのサイドでは別の話題が繰り広げられていた。


「マルクル、聞いたか?おいらを見習えってよ!」
「自慢できる、でしょ!?全然違うよ」
「カルちゃん、キレイ」
「ヒン!」
「あっ!ハウルさん大変ですっ、ヒンが牛乳ひっくりかえしてっ」


マルクルが言い終えぬうちに、彼は少々肥えた身体の長い毛を持つ犬をすくいあげる。するとヒンはハウルが気に入らないようで、短い手足をじたばたとさせるが・・・。
ハウルは飄々と床へ下ろす。


「悔しかったら上っておいで」
「ハウル!・・・おいで、ヒン」


ソフィーはどうやら朝食の支度を終えたようで、しゃがみこんで瞳を輝かせて飛び込んできたヒンを受け止める。


「ほら、あなたはこっち」


そう囁いて、犬専用のトレイの傍に置いてやる。
ヒンは忙しなく餌に飛びつき、それをしばらくの間ソフィーは見守っている。
けれどしばらくも経たないうちに立ち上がり、今度は魔女の世話をする。
出来立てのポタージュを掬い、いくらか息を吹きかけ冷ました後に口元へとスプーンを運んでやる。その仕草にはぎこちなさのかけらもなくすっかり手馴れたものだ。


「はい、おばあちゃん。・・・あら、マルクル。あなたそれ食べられたのね」
「えっ?」


ソフィーに突然話をふられ、マルクルはスプーンを落としそうになる。
それが床に落ちる寸前に、ハウルは軽く長い人差し指をくい、と上にもっていく。
するとそれはすんなりと、再びマルクルの小さな手に収まった。

ちなみに彼女がこの城にきて以来、汚れた食器が食卓に上がることはなくなった。
おぞましい風景も、もはやどこを探しても存在しない。


「それじゃがいも入ってるのよ」
「ええっ?」
「それなら大丈夫ね。・・・次はお魚。・・・難問だわ」


驚くマルクルは眼中にないようで、ソフィーは視線を何もない天井へともっていき、次に挑戦すべき食材に狙いを定めてはみるものの、あまり良い名案が浮かばずにため息をつく。その姿はもはや姉を通りこして・・・


「おかあさんみたい」
「えっ・・・」


食べ物を飲み込むために口をもぐもぐと動かしながら呟いたのは荒地の魔女。
マルクルも同じ感想を持ったようで、否定はしない。
どこか気恥ずかしそうに、でもそれを悟られるのが嫌だと感じたのか、必死にポタージュをせっせと口に運ぶ。
カルシファーもその会話に口を挟んだ。


「感じは母ちゃんでも、迫力は父ちゃんだね」
「・・・・・・・・・」


カルシファーは。
この台詞の後を少なからず予測した上で会話の幕をきったのだ。
大抵はこんな皮肉に対し、まずはソフィーはむっとして、それをハウルが穏便に収めて話はあっさりと終わるのだ。その予測は、必ずと言ってよいほどに当たっていた。


けれど、この時は。


「・・・ソフィー?」


いち早くソフィーの異変を察したのは今まで傍観者に徹していたハウルだった。
心配している、という気持ちを素直に表した表情で彼女の様子を伺う。
俯いて止まってしまったソフィーに、今までがつがつと餌にありついていたヒンも、必死にポタージュを貪っていたマルクルも、あちらこちらを飛び回っていたカルシファーもその動きをとめ、じっとソフィーを食い入るように見つめる。


「・・・具合、悪いの?」


マルクルも不安に想ったのか、想定できる可能性をひたすらあげていく。
けれどソフィーは反応しない。


「ヒン!」


励まそうとしているのか、ヒンもじたばたとソフィーの足元を駆け回る。


「お、おいら別に悪口でいったんじゃないやい!」


自分が原因と思わしきカルシファーは焦った様子でソフィーの近くで弱弱しく燃える。
皆が滅多に弱音を吐かないソフィーがこうなってしまったことに驚き、彼女の元へと集まってくるが・・・。


若干、場の空気を読んでいない魔女が一人。


「ソフィー、ごはんはまだ?」


・・・なぜか。
その一言にソフィーははっと我に返りようやく顔を上げた。


「ごめんなさい。・・・はい、こぼさないようにね」



その様子は、先ほどの彼女から感じられた生きる喜びが感じられない。
与えられたことをせっせとこなす・・・そう、皆が知らない、出会う前の彼女の姿だ。
皆が静まりかえる中、ただ一人ハウルだけが頬杖を付き、空いている手でスープをぐるぐると無造作にスプーンでかき混ぜていた。

そして瞳をわずかに細め、それを突然。


カツン!


『!』


予想していなかった皿とスプーンが強く共鳴した音に驚く一同。
これにはさすがにソフィーもハウルへと視線を向けた。
相当すごい力でつついたような音がしたのだが・・・どうやら皿は割れていない。
ソフィーは首をかしげた。


「・・・ハウル?」


今のは・・・と問いたがっていることが手に取るように分かったが。
ハウルはにこりと笑ってみせる。
・・・出会った時に見せた、大人の男が見せる微笑だ。


「ちょっといじってやっただけさ」
「・・・え?」
「ところでソフィー、いいのかい?君も早くしないと太陽に先を越されるよ」
「・・・?・・・・っ、ああっ!!大変、もうこんな時間じゃない!」


椅子を鳴らして立ち上がるソフィーに、ハウルは朝食を優雅に口へと運びながら穏やかに会話を進める。


「今日の帰りは何時くらい?」
「分からないわ。でも、きっと夜になるでしょうね」


エプロンを取り、鏡の前で短くなった髪を手櫛で整える。
それだけでソフィーの髪は整ってしまうのだから、大したものだ。
彼女は化粧すら施さない。


「分かった。それまで待ってるよ」
「いいえ、そんなのみんなに悪いわ。先に食べてて構わないのに」
「他のみんなは勝手にするさ。・・・でも僕は待ってる」
「・・・」


この時、ソフィーはハウルが一体何を示して語っているのかがわからなかった。
けれど、単なる上辺のみで成立するような会話ではないことはなんとなくではあるものの理解できた。

そして。
今の最後の一言で、ハウルがこの会話を彼の中で自己完結されたことも。


「これ美味しいよソフィー。マルクルを騙せたのも頷ける!」


先ほどまでの大人の男は、いつのまにか無邪気な少年になってしまっている。
ソフィーは、わずかに微笑んだ。