想いと呪文と、代償と −6− |
氷の悪魔が姿を現したことで、部屋の気温は徐々に下がり始めていた。 微かにだが風鳴りの音が聞こえ、吐く息も白い。 キンと張り詰めた空気が、部屋中に立ち込める。 その空気を打ち破るかのように、氷の悪魔である実体を持たない「白いもや」がゆっくりと揺らめく。 「……ハウエル、私はお前が憎い。私を長い間封じ込めて、ここまで弱らせたのはお前だ」 それは、ゆっくりとだが力強い声音で。 言葉を発するたびに、部屋に僅かな振動が走る。 対するハウルは。 悠長にも机によしかかる形で片手を突きつつ、氷の悪魔を真っ直ぐと見据えていた。 そして、先ほどと同様、冷たい笑みを浮かべる。 「………心外だね。僕はきみの日頃の行いが余りに悪かったから、前の主人から封印するよう頼まれただけさ。自業自得じゃないの?」 その言葉に、一瞬目の前の「白いもや」が震えた。 お互い、微動だにせず睨み合う。 と、そこへ。 くしゅんっ。 小さなくしゃみが、緊迫した空気を一気に崩した。 見ると、マイケルが鼻をぐすぐす言わせながら、ソフィーにもう一枚毛布をかけてやっている。 「あ……っす、すみません!」 ハウルの視線を感じたのか、ばつが悪そうにマイケルはあわてて謝罪する。 きっと室内の気温は、そろそろ氷点下に達するころだろう。くしゃみくらいして当然だ。 するとマイケルの行動に便乗してか、今度はカルシファーまでもがぼやき始めた。 「これ以上気温が下がったら、おいらだって厳しいよ!おいら消えるのはごめんだからね」 そう言ったかと思うと、カルシファーは暖炉の奥へと姿を隠してしまった。 手元に置いてあった薪を、ちゃっかりと何本か持っていった様子で。 「ちょっ、ちょっと待ってよ、カルシファー!」 たまらずマイケルが呼びかける。 しかし、暖炉の奥から反応は返ってこなかった。 言い方が悪いかもしれないが、カルシファーは頼みの綱である唯一の保温手段である。 それが奥へ消えたとなると、ますます部屋の気温は下がり始める。 ―――――――――時間がない。 ハウルは表情には出さないものの、悠長な事態ではないことに気がついていた。 この急激な気温の低下には、生身の身体であるハウルたちには厳しいものがある。 しかし、逆に氷の悪魔自身も、ソフィーの身体から切り離された今、体力的にも魔力的にも厳しい状況にあるだろう。 それは間違いなかった。 するとハウルの読みが当たったのか、先に動き出したのは氷の悪魔だった。 お互いの均衡を破るかのように、揺らめき冷気を放ち始める。 「ハウエル、お前も私の力の源になってもらう。取り込ませてもらうよ」 すると、以外にもその言葉を聞いた途端、ハウルはクックッと小さく笑い出した。 対する氷の悪魔は、無言のままハウルの様子を見ている。 「………取り込む?僕と勝負しようってのかい?」 やがて。 プツリとハウルの笑いが途切れたかと思うと、表情が一転した。 不適ともいえるほどの鋭い視線を、黒の前髪から覗かせる。 「……あんた、誰に向かって言ってるのさ」 右手を――――――――悪魔に向かって真っ直ぐと伸ばす。 青の双眸が、冷たく白いもやを写して。 「この僕に本気で勝てるとでも思っていたわけ?」 瞬間。 ハウルが右手を僅かに動かしたと思うと、もの凄い光と音が部屋中に響き渡った。 「うわっ?!」 ハウルの背後に位置していたマイケルは、思わず小さく声をあげる。 そして、反射的にソフィーを守ろうと、身体の上にかぶさり固く目を閉じた。 「…………っ………あれ?」 しかし。 感じるのは音と光だけで、いつまでたっても衝撃などの類はこなかった。 きっと、ハウルが魔法で守ってくれているのだろう。 そのことに安堵の溜息を吐きつつ、状況を確かめようとマイケルはゆっくりと目を開けた。 そしてそのまま視線を伸ばす。 「あ………!」 見ると、さきほどのハウルの魔法がきいたのだろう、白いもやは苦しむように形を歪め、呻いていた。 対するハウルはというと、悪魔が対抗した痕だろうか。左の頬が切れていた。 赤い血が、線を書くようにハウルの左頬ににじむ。 それを無造作に拭いながら、ハウルは白いもやへと近づいた。 一歩。 一歩。 それは、全くといっていいほど不安を感じさせない足取りで。 もう少しで触れるといった距離まで近づいた、その時。 ぐおおおおおおぉぉぉぉぉぉ 氷の悪魔が顔を歪めたまま、地が揺れるほどの低く度量のある唸り声を上げた。 と同時に、突然ハウルの方へと身体を伸ばし襲い掛かる。 「―――――――ハウルさんっ!!!」 それは、誰が見ても不意打ちと言っていいほどの素早さで。 マイケルは、思わず身を乗り出してハウルの名を叫んでいた。 しかし。 マイケルが叫んだ時には、すでにハウルは頭上から迫りかかっている白いもやを、右の手の平で制していた。 まるで、悪魔の取る行動が分かっていたかのように。 ハウルの右手と悪魔との間で、バチバチと何かが弾け飛ぶ音がする。 「残念だけど、君の負けさ。ソフィーから奪った魔力や体力、その他もろもろ返してもらうよ」 ハウルの指先が、白いもやに向かって小さく何かを描き始めた。 指先は、光を放ち。逆に悪魔からは、光が消える。 すると、悪魔が最後の力を振り絞っているのだろうか、ハウルの右手がピキピキと音を立てて徐々に凍り始めた。 しかしハウルは、余裕の表情さえ浮かべていて。 「それに勝負する前から、君の負けは決まっていたのさ」 その言葉に、背後で見ているだろうマイケルが、息を呑んでいるのがはっきりと分かった。 青色の目を揺るがすことなく、氷の悪魔へと向けて。 「何故なら、君はソフィーを傷つけた。……僕を本気で怒らせたからね」 瞬間。 パンっと何かが弾け飛ぶような乾燥した音が響いたかと思うと、もの凄い風が部屋の中を一瞬吹き抜けた。 「……………!」 マイケルが次に目を開けたときには、もうそこに悪魔の姿は無くて。 代わりに、どこからか一枚の紙がヒラヒラと舞い落ちた。 「ま、すっかり消してしまうのはかわいそうだからね」 ハウルはそう言いながら、凍りかけていた右手を2,3度左右に振ってみせた。 すると、音をたてながら氷は一瞬にして解ける。 同時に、部屋の気温は常温に戻り始めた。 そんな様子の変化を感じ取ったのか、カルシファーが暖炉の奥から顔を覗かせる。 「もう終わったのかい?」 全然悪びれなく問いかけるカルシファーに、マイケルは苦笑いを向けつつ落ちてきた紙を拾い上げた。 それは八角形に折られており、真ん中に何やら呪文が書かれている。 マイケルは不思議そうに、ハウルと紙を交互に見比べて。 「ハウルさん、これ………」 どこか実感の無い声で、そう尋ねた。 するとハウルはソフィーに近づきながら笑みを浮かべつつ答える。 「前よりも、もっと強力な封印だからね。今度はソフィーにだって簡単には解けないさ」 そう言いながら、ハウルは今だ眠ったままのソフィーの髪を優しく撫ででやる。 見るとソフィーの頬は、徐々に赤みを取り戻していた。 そのことにハウルは小さく安堵の溜息をついたのだった。 次の日。 「おーーーい!」 広い部屋に、カルシファーの声が響く。 しかし、誰からも返事はなく。 そう。 昨日の一件で、ハウルもソフィーもマイケルまでもが、すっかり風邪を引いて寝込んでしまっていたのだ。 「………しばらく寒い中いたからなぁ。うっかりしてたよ」 二階では、遠くでカルシファーが騒いでるのを感じつつ、ハウルがベットの中でげんなりと呟いていた。 魔法でティッシュを何枚か出現させ、鼻をかむ。 「うーーー……、苦しい」 しかし。そう言ったところで、みんな風邪をひいているため心配してくれる人はいない。 ハウルは理不尽を感じつつ、ぶつぶつと文句を言ってみせた。 「もうだめだ……、僕は死ぬ」 そんなハウルの隣には、同じく熱を出したソフィーが寝ていて。 ハウルの投げやりな言葉に、「はいはい」とあいづちを打っていた。 しばらくして。 誰もかまってくれないことに諦めがついたのか、ハウルの規則正しい寝息が聞こえてきた。 ソフィーはそのことを確認してから、そっとハウルに近づいた。 頬を、ハウルの肩もとにすり寄せる。 後にカルシファーから聞いた、今回の一件。 苦しかったし、寒かった。呪文なんてもうこりごりって思ったけれど。 ハウルの想いを、痛いくらい感じることも出来た。 「風邪」という代償だけは残ってしまったけれど。 不謹慎だけど――――――――ちょっとだけ嬉しかったかな。 「………ありがとう、ハウル」 ソフィーはそう呟き、ハウルを起こさない様に頬に軽くキスをした。 窓の外には、眩しいほどの陽の光が差していて。 雲ひとつない青空が広がっていた。 |