想いと呪文と、代償と
−5−






 マイケルの質問に、ハウルはソフィーの口元までかかってしまった毛布を下げてやりつつ立ち上がった。

 ふとソフィーの眉根が動いたのは気のせいだろうか、目を細める。


 そして、先ほどの例の呪文の紙を手に取った。


 ふぅ…と溜息をつく。


 「ソフィーは今、間違いなく悪魔に取り付かれてる」

 「あ…っ悪魔?!」


 ハウルから聞かされた以外な事実に、思わず声が裏返る。

 ゴクリ、と一つ唾を飲みこんで。


 自然に―――――――視線がカルシファーの方へと動く。

 
 だって、悪魔って。

 悪魔っていえば。

 「カルシファー」も悪魔………だよね?


 すると、そんなマイケルの考えが読めたかのように、カルシファーが炎をちらつかせながら抗議の声をあげた。 

 赤と青の炎が、暖炉の中で交互する。


 「悪魔にだって色々いるからね。おいらみたいに、いい奴ばかりとは限らないのさ」


 それはどちらかといえば、怒ったというよりは呆れた様な声音で。

 マイケルは、やや暗めになりつつある部屋の空気を、気まずそうに吸い込んだ。


 すると、そんな二人のやり取りを横目で見ていたハウルが、例の呪文の紙面を右の手のひらで上から下に向かって軽く撫でた。

 そして、青の双眸をゆっくりと閉じる。
 
 
 肺にたまった空気を、小さく吐きだして。


 「そうさ、マイケル。こいつはカルシファーとは違う。凶暴で邪悪な奴でね。だいぶ昔に誰にだったかなぁ、手に負えないからって譲り受けたんだよ」


 次にハウルは両目を開けて、紙面に書いてある記号やら魔方陣やらを指で()くう()に描き始めた。

 すると、ハウルの指の動き通りの文字が、まるで空気中に浮いているかのように羅列し始める。


 「そして、僕がこの紙に書かれた魔法陣の中に封じ込めた!」


 次の瞬間。

 ハウルを中心に、風が巻き起こった。


 黒色の髪が、ふわりと揺れて。

 ピアスの金属の擦れる音が、小さく響く。


 すると、ソフィーの身体が僅かにだが淡い光を放ち始めた。

 しかし、それは誰の目から見ても禍々しい光で。
 

 そのことを確認して、ハウルは一歩前へ足を踏み出した。

 コトリ、とやけに足音が大きく響く。


 「さぁ、出て来い」
 

 小さく、それでいて威厳のある声量で言葉を綴る。

 鋭い視線は、ソフィーの身体から離さないまま。


 ―――――――そう。

 こいつは「氷の悪魔」だ。

 今は誰とも契約を結んでいない、本当の意味で自由な悪魔。


 しかし、こいつは長らく強い「封印のまじない」のもと封じ込められていた。

 悪魔といっても、ハウルの予測するところ時間が経つに伴って、体力も魔力もそれなりに落ちているだろう。

 カルシファーの強い火力がともるこの温かい部屋では、存在するのも難しいくらいに。


 だから、ソフィーに取り付いたのだ。

 
 「………………」


 ハウルは、正直自分に不安な気持ちが生まれていることを感じていた。

 自分の予想した内容が、すべて事実だとしたら。


 このまま時間が長引けば―――――ソフィーの身体は、まず持たない。


 そう。

 ソフィーは氷の悪魔にとって、格好の餌なのだ。

 力を。魔力を取り戻すために。


 実体を、保つために。 


 事実、先ほど触れた時のソフィーの体温は、まるで死んでいるような錯覚を覚えさせたほどだ。

 それほどソフィーの体力も気力も、そして生きる力までもが悪魔に吸い取られているということで。


 そのことに、ハウルは確実に自分の鼓動が早まっていることに気がついた。


 何ともいえない、この焦り。不安。

 ソフィーが死んでしまうかもしれないという、恐怖感。


 それが、ハウルの気持ちを急き立てる。


 ―――――――そんなこと、させるものか。

 いや、絶対にさせない。


 守ってみせる。

 ようやく手にいれた、大事な人を。


 命をかけてでも守りたいと思った、本当に大切な人を。


 ハウルは、いま一歩ソフィーに近づいた。

 表情は、決して崩さずに。


 「………もう一度言う。出て来い」


 沈黙を破るかのように、ハウルの声が部屋に響く。

 と同時に、右手をソフィーに向けて前へと差し出した。


 「………なんなら、こっちから引っ張り出してやろうか?」


 そう言葉にしながら、ハウルは鋭い視線のまま軽く笑みを浮かべた。

 それは、ソフィーやマイケルには決して見せることのない、冷たい微笑みで。

 
 瞬間。

 部屋の中が、一瞬揺れた。

 かと思うと、そのまま部屋の気温が一気に下がり始める。 


 ―――――――――かかった!


 ハウルはそう確認すると同時に、()くう()に描かれた魔方陣を真ん中から真っ二つに右手の指で切る。

 刹那。ソフィーの身体から、実体を伴わない青白いもやの様なものが浮かび出てきた。


 「な…っなんですか、これっ?!」

  
 その状況に、思わず後ずさりをしながらマイケルは酔狂な声をあげた。

 対するカルシファーと言えば、ヒューと口を鳴らしている。


 「へぇ。これが氷の悪魔か。おいらも見るのは初めてだよ」


 カルシファーの言う「これ」は、音もなく宙に浮いていて。

 もやの中から微かに覗く目と口は、憎悪の光を込めていた。


 「………ようやくお目見えってわけかい?」 
   

 その様子を見て、ハウルはそう小さく言葉を綴った。



 外は、雨。

 静かに空から降りしきる。