立ち待ち −5− |
「おい!その女に用がある。おとなしく引き渡してもらおうか」 ソフィーがハウルに抱きついて一分後。 明らかに存在を忘れられていた軍人が、しびれを切らせた様に声を荒げた。 すると、ソフィーはその言葉にハウルの腕の中で微かに反応して。 対するハウルは、その言葉にソフィーから視線すら動かさずに無言で答えた。 そして、一呼吸置いてからソフィーはゆっくりと軍人の方を向いた。 右手は、ハウルの洋服を軽く握りしめたまま。 目が、合う。 「素直じゃないか。そのままこっちに来い」 「…………」 少々警戒しながらも、軍人は一歩前へと踏み出して。 ソフィーに、手を伸ばす。 反射的に、ソフィーはハウルの洋服を握る手に力が入った。 と、その時。 「汚い手で、ソフィーに触らないでくれないか」 ハウルが、前髪から鋭い視線を除かせながら静かに口を開いた。 かと思うと、ゆっくりと人差し指を軍人へと向ける。 瞬間。軍人の姿勢が、まるで糸に操られているかの様に直立になった。 「………なっ?!」 思わず軍人は、驚いた表情のまま短く声を上げる。 そしてそのままハウルの指の動き通りに、まるで操り人形の様にぎこちない動きを繰り返した。 ハウルは、前髪で表情はよく見えないものの、口元に薄笑いを浮かべていて。 ソフィーは、そんなハウルの指先を、言葉も出せずにただ見ているしか出来なかった。 緑の軍服が、右足を上げて。 左手を振り。 くるり、と方向転換をする。 そしてそのまま、今通ってきた裏路地の方へと歩き出した。 「な…っな……」 上手く言葉も出せないのだろうか、軍人はそのまま街頭のほとんど無い夜の闇が広がる裏路地へと消えていく。 最後にハウルの指先が、軽く空気を切って。 …………あの時みたい。 そんな光景を見ながら、ソフィーはふとそんなことを考えていた。 頭の中で、ついこの間の記憶が蘇る。 この状況。この光景。 この、展開。 そう。 これは、ハウルに初めて出会ったとき。 あの日も、ここと同じく裏路地で。 軍人に絡まれていた私を、ハウルは助けてくれた。 こんな風に、魔法を使って。 ソフィーは、自分の中に何か熱いものが込み上げてくるのを感じた。 と同時に、気がつくとすでに視線の先に軍人の姿は無くて。 ソフィーはそのことに、小さくゆっくりと息を吐きだした。 すると。 今までの不安と緊張が一気に解けたのだろうか、微かに手が震えてきて。 自分の意思とは無関係に、涙がぽろぽろと流れ出した。 あわてて、洋服の裾でそれをぬぐう。 「…………っ」 ソフィーは、どうにかハウルに気づかれないように済ませようとしたが、そうもいかず。 ハウルが、ソフィーの顔を覗き込む。 「ソフィー……?」 そんな自分を呼ぶ声に、ますます涙が溢れ出てくる。 何とか止めようとするが、意識すればするほど逆効果で。 と、止まらない〜〜〜〜〜〜っ! ソフィーは胸中で小さく悲鳴を上げた。 しまいには、鼻もぐすぐす言い出して救いようがなくなってくる。 すると。 ソフィーにとって、予想もしていなかった事態が起きたのだ。 ハウルが。 涙を隠そうとしていたソフィーの両手を、顔からゆっくりと引き離し。 優しく―――――――キスをした。 「…………っ!!」 口元に感じる、柔らかな感触。 暖かな、体温。 一気に、涙が止まる。 いや。正しく言えば、涙を出すための神経が一瞬機能しなくなったとでも言うべきだろうか。 それほど、ソフィーにとっては予想外の出来事だったのだ。 「ハ……ハウ……」 ゆっくりと唇を離し、自分を近距離から見つめるハウル。 ソフィーの涙で濡れた顔を、優しく両手で拭ってやり。 そんなハウルの行動に、ソフィーは上手く言葉を続けられずに顔を赤くするしか出来なかった。 すると。 「ソフィー、近道をして帰ろう」 「え?………えぇぇっ?!」 途端。ハウルはソフィーの腰に手を回し。 もう片方の手では、ヒンを抱きしめ。 そのまま―――――――――宙に舞い上がる。 あまりに突然のことに、思わず目を閉じてしまったソフィーだったが、やがて穏やかな風が頬をくすぐり始めた。 そのことに、安心感を覚え。 ゆっくりと、目を開ける。 「わぁ…………」 眼下には、昼間とは違った賑わいを見せている夜の町。 色とりどりの光が、ソフィーの目を魅了して。 二人で、空を歩く。 「どう?ソフィー。まるであの時みたいだ」 「え………」 ハウルの言葉に、ソフィーは驚いた表情を向けてみせた。 対するハウルは、ニコリと微笑む。 あの時。 二人が出会った、あの時。 ソフィーは、薄く涙を浮かべながら本当に嬉しそうに微笑み返した。 そして、頷く。 ハウルも、気づいてくれていた。感じていてくれた。 私達が出会った、あのときを。 運命が回りだした、あの瞬間を。 そして。 あの時から、私はハウルに恋をしたんだ。 それは、私にとっては本当に―――――――「立ち待ち」なこと。 ソフィーはそんなことを考えながら、隣にハウルの体温を感じつつ静かに目を閉じた。 二人の足元には、月の光が照らす夜の街。 そこには、穏やかな風が流れていて。 ソフィーの流れ星色の髪の毛が、夜の闇に映えるようにふわりと揺れたのだった。 |