時間の呪文 −21− |
「お帰りなさい、ハウルさん!」 そう言いながら、マルクルがハウルの方へと近づく。 「どこへ行ってたんですか?」 するとハウルは、そんなマルクルに静かにと言わんばかりに手で制して。 対するマルクルは、きょとんとしたまま。 そのままハウルは、まるで何かを探すかのように城の内部をぐるりと見渡した。 「……………」 ひとしきり見たところで、ハウルは小さく溜息をついた。 「……………?」 ソフィーは、そんなハウルの行動の意図が読めずに、不思議そうな表情を浮かべてみせる。 するとハウルは、暖炉の方へと近づいた。 一歩、一歩。 そして、それは必然的にソフィーにも近づくこととなり。 ハウルの足が、止まる。 「ソフィー。僕があんなに関わるなって言ったのに、ルーイに会ってきたのかい?」 ぎくっ。 身体は正直なもので、あからさまに態度に出してしまったソフィーは、今更否定することなど出来るわけもなく。 「う……」 言葉を、濁す。 見るとハウルは、明らかに不機嫌そうな表情をしていて。 な、何で分かったの〜〜〜〜っ! ソフィーは、胸中でそう叫んでみせた。 が、露見してしまったものは仕方がない。 ソフィーは意を決して、コクリと小さく息を飲み込んだ。 大丈夫、ハウルなら分かってくれるわ。 きっと、大丈夫。 「ハウル、あのね……。あの……ルーイのことなんだけど、ルーイの契約が……」 「そんなにルーイのことが心配かい?」 息が、詰まる。 見るとハウルは、今まで見たことも無いような目をソフィーに向けていた。 怒っているかのような、それでいて飽きれている様な、そんな目。 そして、そこには僅かに寂しさのようなものも含ませていて。 一瞬、ソフィーは身を強張らせる。 「確かにルーイは悪魔と契約をしてるみたいだね。その様子じゃ、ソフィーももう知ってるんだろう?」 いつもとは違うハウルの硬質な声に、ソフィーは無言で答えることしか出来ずに。 その様子を肯定と取ったのか、ハウルは言葉を続ける。 「じゃあ聞くけど、ソフィー。君は何故ルーイが悪魔と契約をしたのかは分かったのかい?」 「……………」 「分からないのに、ソフィーは何をしてあげるつもりなんだい?」 胸が、詰まる。 喉の奥が、熱くなる。 こんなハウル、知らない。 淡々と感情無くしゃべるこんなハウル、私は知らない。 ソフィーは、今にも涙を流しそうになるのをぐっと我慢した。 ここで泣いちゃ、だめだ。 ここで涙を流したら、自分は本当の役立たずになってしまう。 そう。 だってまだハウルに伝えてない。 伝えなきゃ。 ルーイのことは心配だけど、私が本当に心配してるのは。 本当に守りたいと思ってるのは――――――――― 「……………クレア」 「え?」 あまりに突拍子もなくハウルの口から出てきた知らない名前に、ソフィーの思考は思わず遮断させられる。 一瞬真っ白になりかけた頭を、どうにか動かす。 「クレ………ア?」 明らかに女性の名前である。 しかし今の会話の内容に、この女性が一体何の関係があるというのか。 ソフィーは、眉を潜めつつ小さく首を傾げてみせた。 するとハウルは、上着を脱ぎながら椅子へと腰掛ける。 「………ルーイの彼女の名前さ。前の戦争で亡くなったらしい」 「え…………」 「その女性、驚くほど良く似ていてね。以前の、君にさ」 これには流石のソフィーも、口をポカンと開けつつ驚く。 以前の、私? ということは、赤錆色の髪をしていた頃の私ってこと? ソフィーは何度か瞬きを繰り返しながら、思わず自分を指差して見せた。 ハウルはといえば、ソフィーに何かを問うような視線を向けて。 「ソフィー、ルーイの心配をするのは君の自由さ。でもそれ以上に、自分の心配をした方がいいんじゃないのかい?」 「そんな………」 まさか、と言いかけて、ソフィーはハッと口を噤んだ。 ハウルが、自分に向かって右手を伸ばしてきたのだ。 立ち上がった弾みに、木製の椅子がギィと音を立てて。 思わずビクリ、と身体を震わせる。 抱きしめられると思い、乙女の衝動がそうさせてしまったのだ。 しかし。そのことに一瞬だが、ハウルが驚き寂しそうな視線をしたのは気のせいだろうか。 「ハ、ハウル…………」 案の定、しっかりと抱きすくめられたソフィーは、心臓が徐々に高鳴るのを感じていた。 自分では見ることが出来ないが、きっと顔も真っ赤だろう。 だってだって。 マルクルも見てるし、カルシファーも見てる。 それに、何よりも心の準備が〜〜〜っ! しかし。 そんなソフィーとは対照的に、ハウルは微動だにせず黙ったまま。 「ハウル………?」 いよいよ心配になったソフィーが、小さくその名前を呼ぶ。 するとハウルは、ゆっくりとソフィーから身体を離し。 小さく、呟く。 「ソフィーは……、僕が近づくと何かと上手くかわして逃げるのに、ルーイだと………」 「え……………?」 最後の方がよく聞き取れず、ソフィーはハウルに耳を近づけ聴き返してみせた。 しかしハウルは、そんなソフィーからすっかり身体を離し溜息をつく。 「そんなに僕に心配をかけて楽しいかい?」 「そんなこと…………っ!」 思わず、叫ぶ。 そんなことないのに。 そんなこと、あるわけないのに。 「私は…………っ」 いい加減、苛々もしてくる。 泣きたくもなってくる。 するとハウルが、ふと今まで握っていた右手を何故かソフィーに開いてみせた。 そこには―――――――― 「きゃっ?!」 「のぞき虫!」 今まで二人の会話をハラハラしながら見守っていたマルクルが、ここぞとばかりに声を上げる。 ハウルの手の平には、真っ黒な、まるで大きなミミズの様な生き物が動いていて。 「そう、のぞき虫さ。ソフィー、君のスカートのポケットに入っていたんだ」 「……………!」 きっと、今ソフィーを抱きしめたときに取ったのだろう。 見るとそれは、奇妙な動きを繰り返していて。 「まさか、ルーイが……………」 「ここでの会話は、みんな彼に筒抜けだったってことさ。でも彼はまぬけだね。この僕に見破れないとでも思ったのかな」 そう言うと同時に、ハウルは右手をゆっくりと閉じ始めた。 するとのぞき虫が、音と煙を立ててハウルの手の中へと収まってゆく。 すっかり閉じきった右手の拳に一瞬ハウルが息を吹きかけたかと思うと、次に手を開いた時には、すっかりのぞき虫の姿はなく。 あとに残るは、不適な笑みを浮かべたハウルの顔。 ソフィーは、そんなハウルの右手から目を離せずにただただ立ち尽くすだけ。 「なんで………何のために、ルーイ…………」 消え入りそうな声で呟く。 今、目の前で起こっている出来事が、あまりに信じられなくて。 何が起こっているのか、分からなくて。 やっぱりルーイは、カルシファーの言ってた通り何か企んで――――――――― 「だから言っただろう?あまり深入りするなって。ソフィー、君はお人好しすぎるんだよ」 ハウルの言葉が、胸に刺さる。 お人好し。 おせっかい。 分かってる。 そんなの分かってるけど。 でも、大事な人を守りたいって思うことはダメなことなの? 愛しい人を助けたいって思うことは、いけないことなの? ポタリ、と床に涙が落ちる。 もう、分かんない。 訳が、分からない。 ずっと我慢していた涙は、一度流れてしまうと止まることを知らずに。 ポタポタと、床にいくつもの染みを作っていく。 「ソフィー……」 そんなソフィーを見て、まさか泣くとは思いもしなかったハウルは思わず手を伸ばす。 しかし。 そんなハウルの手を。 バシッ! 「ソ…………」 「ハウルの………分からずや」 差し出された、自分より一回りも大きな手を思い切り振り払い、ソフィーはきっと睨んでみせる。 振り払った時の左手が、ジンジンと痛む。 「ハウルなんて……………大嫌い!」 そのままソフィーは、城の出口へと駆け出し扉の色をピンクへと変える。 そして、思い切り扉を開けた。 外は、雨。 一寸先がよく見えないくらいの、どしゃぶり。 でも、構うもんか。 「ソフィー!!」 背後からマルクルの声が聞こえてくるのを感じつつも、ソフィーは降りしきる雨の中、城の外へと飛び出したのだった。 |