ARARA -  9
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どる
雲景のあららARARA
2009年7月25日(土)
あららARARA  花になる子供たち


花を活けるときに、植物を「擬人化」して考えることが好きである。
小学校でのボランティア活動でも大いに活用している。

いけばなの手直しをしているときに楽しみがある。

葉っぱの表と裏が逆。
花は、横っちょを向いている。
小学生低学年では無理もない。

子供に言う。
「この花が自分だと思いましょう」

子供は正座をし直して、顔がひきしまる。

花を少し動かしてみる。向きをいろいろに変えてみる。ある一点で、
子供の眼がキラリと光って、口元がほころぶ。

「どっちの自分がいい?」

にっこり笑ってくれたときには、密かに「シメタ」と思う。
子供は、自分だと思う花から眼を逸らさないで、嬉しそうだ。

判断は子供任せであるのに、花暦の長い雲景と、小学生が同じ答えを出している。
指導冥利につきる瞬間だ。
花道と呼ぶには程遠い花遊びであるのに、子供に備わっている感性は鋭い。

この感覚を育てたい。
子供達は、素直に花になれる。


いけばな界には、流派の数が多い。流派ごとに異なった規矩がある。
美であるための混乱を招かないように、学校教育のなかではどのように指導したら
良いのか苦慮することがしばしばある。
花型・寸法・角度だけから、画一的に縛り込んだのでは、子供への美学は磨けない。

早い時期から、豊かな表現力や情感を育む場を与えたい。
花と親しむ事が日常となるように。

今日も花になった笑顔に会ってきた。心のなかで「シメタ」思うことが多かった。
あらら、子供と同じ判断力であるということは、どういうことかしら?
花になる子供たち
づく
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