ARARA - 2
FLOWER COMMUNICATION
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どる
雲景のあららARARA
2008年9月3日(水 )
あららARARA マダマダ難しい、自然であれ。

教育学の男性教授は、開講一番、教室に入ってくるなり、
「自然であれ」 と、
黒板の中央いっぱいに、大きな文字を書きました。

その文字が今でも瞼に浮かびます。半世紀近くも前の学生時代のことなのに。
都会育ちで、自然とのかかわりあいが少なかった若い時代には、大変むずかしい
お題でした。
「自然であれ」とは、人間にとってどのような道しるべなのでしょう。

いけばなの魅力は、自然の素材を扱っていることに尽きます。
自然の創造主がお創りになった植物には、すでに完成された美があります。
それをさらに美しく仕立てあげようとする願望は、畏れ多いことかもしれません。

しかし、いけばなに長く携われば携わるほどに、植物と植物が出会う「一期一会の美」に
のめりこみます。いけた小菊が放つ一瞬の力強い輝きを見て、感動のあまり身動きがとれ
なくなったときもあります。

いけばなの友人が言いました。
「人間だって、自然の細胞の塊なのだから」

人間 = 自然の細胞の塊  あらら、ごもっともでございます。

自然と人間は、別々のものと考えている人々が多いようです。宇宙の大局から見れば
人間も自然存在の一部であることに気がつきません。人間の驕りは、とかく大自然までも
支配したり征服したがります。いつか大きなしっぺ返しがあるのではないかと恐れます。

生きている限り、〇だ、△だ、Xだ、と人間の脳細胞は、文化・文明・経済の社会にあって、
口さがないです。
植物の芽が出て、花が咲いて、枯れていく。
人間の一回しかない一生を、毎年くりかえして何回も見せてくれるその無言のいとなみは、
人間のこの上ない教師だと思います。

生きて枯れて、生きて枯れて、植物の繰り返しの中に、人の心は何を見るのでしょう。
「自然であれ」との問いかけに、真摯に向きあって生きていきたいと思います。

づく