ARARA - 21-30
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雲景のあららARARA
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あららARARA Web劇場ー名前の検索
雲景の左肩あたりに人の気配がした。
「この絵が好きですか?」
ベレー帽をかぶった、ちょっと小柄で小太りの中年男性が声をかけてきた。父親に近い年齢だ。
いつの間に会場に入ってきたのだろう。雲景の姿を見ていたらしい。
頷くと、男性は雲景と並んで、絵の前に立った。
二人とも黙ったまま佇んで、遠方に細くなっていく一本の道の先を見ていた。
暫くしてから、
「先生でいらっしゃいますか?」 と尋ねると、
男性は、黙って肯いて、入り口近くの受付のテーブルの方に歩いていった。
東山魁夷画伯だった。
遺影の家元先生のベレー帽と東山魁夷画伯のベレー帽が重なっていた。
「真っ直ぐに歩みなさいよ」
雲景に、メッセイジを送ってくれているように感じた。
今日は、お別れ会に参列しているのに、雲景のほうが慰められているようだった。
食欲不振が続いていた雲景には、お料理に胃袋も慰められた。
仏さま、ありがとうございます。
坂崎旦教授に薦められて出かけたのは、銀座の三越デパートだったったような気がするけれども、
松屋だったかしら、松坂屋だったかしら? もしかしたら、日本橋のデパートだったかもしれない。
何年のことだったかしら?
雲景にも、ベレー帽をかぶった学生時代の写真がある。
昔の記憶を手繰り寄せたくなっていた。
画伯とも知らないで、二人並んで一本の道を見つめていたときの充足感を今までに何回
思い出したことだろう。
便利なのが、Web検索である。
『東山魁夷』 と入力すれば、情報は居ながらにして手にはいる。
検索の仕方によっては、図書館を自宅に持っているようなものだ。
検索をすると、市川市に東山魁夷記念館があった。
問い合わせをした。
留守電に、お名前が入っていた。
その女性に電話をした。
「ベレー帽ををかぶっていらした」
「ハンチングをかぶっていた」
学芸員の女性と話がかみ合わない。
今仕事をしているのだから、雲景よりずっとお若いのでしょう。
晩年の画伯はベレー帽ではなくて、ハンチングをかぶっていたらしい。
夕方、詳しい資料を添付したメールが届いた。
雲景が出会った≪道≫の画(1950年 東京国立近代美術館蔵)は、
1961年5月9日〜17日、銀座松屋で開催された 『東山魁夷自選展』 のようだ。
50年経っている。
1968年に皇居新宮殿壁画、1975年に唐招提寺障壁画を描いている。
画壇では高名でも、新聞・雑誌などの一般メディアがざわめいて誉めあげる前のことだった。
続く(編集未完)
いけばな界とWeb界に、善き栄えあれ