ARARA - 21-4
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雲景のあららARARA
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雲景がSS流の家元と出会ったのは、かれこれ7年目ぐらい前になる。
当時の雲景は、いけばなの壁に突き当たっていた。
「いけばなの道」や「芸能」や、その他の道をあゆむ者には、壁はつきまとう。
人間関係の壁。組織の壁。技術の壁。壁は真剣になればなるほど、厚くなる。
人間関係の壁は、いけばな界だけにあるものではない。
人間があつまる組織であれば、何処にでも存在する。
組織や会社の中で壁をつくる人間や、その一派は、ほんの一握りだ。
雲景がつけたあだ名ではないが 「大魔人みたいだぁ〜」 とかげで呼ばれる人もいる。
壁人間は強いから、標的にされると、落とし穴にでもはめられてしまったような錯覚に陥って
周りが見えなくなってしまう。いけばな人口の99%は善人だ。その人々に眼をむけて、
志を高く保っていれば、怖れることはない。
「だから、人間関係の壁は、ひとまず横に置いといて〜っと!」
組織の壁は、雲景とは遠いところにある。
流派の本部は関西にある。
雲景は、経営者でも社員でもない。
いけばなの学びを、楽しんでいる流人でしかない。
「だから、組織の壁は、これもひとます横に置いといて〜っと!」
「横に置いといて〜っと!」 と言えないのが、技術の壁である。
雲景は、いけばなを 「表現のひとつ」 として選択している。
お絵かきが好きな人は、キャンバスに向かえばよい。お字かきが好きなひとは、原稿用紙の
ます目を埋めればよい。身体で表現することが好きな人なら、踊ればよい。
すべての表現の出発点の源は 「こころ」 にある。
雲景が師事するK先生に、はじめてご挨拶に伺ったとき、K先生は事務所のテーブルの
向かい側に座っていらっしゃった。
「いけばなを習うということは、そのエッセンスを習うということですよ」
先生は、にこやかに雲景を迎えてくださった。
その言葉は、雲景の琴線にふれた。思わす泪があふれ出てきた。
ご挨拶に行ったのになぜ泪が溢れてしまったのだろう。
51歳の若さで他界した、昔の良妻賢母の善人だけで人生を終わった母のエッセンスに
触れてしまったからなのだと思う。
母はお稽古事がすきだった。茶道、編み物、洋裁といつも何かを楽しんでいた。
「帯もじぶんで結べないで・・・!」 と嘆きながら、お茶会に雲景をつれていった。
若いころは、華道や和裁がお稽古だったそうだ。
もう少し歳をとったら、俳句だか和歌の会に参加したいと、ぺん習字もならいはじめていた。
雲景が花包みを抱えてかえってくると、目を細めて嬉しそうだった。
いけばなは、雲景のこころのオアシスなのだ。
女子大を卒業して、航空会社につとめるようになってからの雲景は、自分のことよりもいつも
周囲を気遣う欲のない母の純真さを 「お嬢ちゃんおばさんね」 とからかったものだ。
続く(編集未完)