ARARA - 21-5

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雲景のあららARARA
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いけばな界では高名な先生のご指導を仰いでいるのに、雲景には迷いが出てきた。
研究会に行けばそこそこの成績を収めて、毎年優秀賞をとれるようになった。
家元賞もいただける。それなのに、研究会に行きたくなくなる事が重なってくる。

人間関係の壁は、横に置いたはずだった。雲景の継続年数が増すにつれて、大魔人と
よばれる女性が猛威をふるい始めた。いけばな界は大多数が善人の女性で構成されて
いるから、理不尽がとうりやすい。

雲景の目の前で大魔神が言った。 「わかったら、5点は必ず引く」
大魔神は、助教授の審査でも、あとから5点引く、という話が流れてきた。

納得がいかない点数が何度かあって、そのたびに旗が立っていないのは、大魔人の仕業
だと、納得した。大魔神は雲景の花の手を見て社中がわかるらしい。
講評のあと、年配の審査の先生が、雲景に近寄ってきた。
「私はいいと思いますよ」 と告げてくれた。

もう少し若い女性の審査の先生は、研究会の講評がすんでから、雲景の花の前にもう一度
戻っていらした。旗が立っていない雲景の花をじっと見詰めたまま動かなかった。
先生、黙っていらしていいですよ。見直しに戻ってきてくださってありがとうございます。
雲景はわかっていますから。
会場係りの人が、堪えきれなくなって、大魔人が点数をさげた、と教えてくれた時もあった。
お気に召さないことがあるのでしょうか。
大魔人がプリプリ肩を震わせて、怒ってあるく後ろ姿は、絵になった。

男性の審査の先生は、研究会の講評が終わったあと、花をはさんで雲景の正面に立った。
「あなたは僕の採点が厳しいから嫌いだといったでしょう。だからよい点数をつけた」
と言った。雲景は嫌いとは言っていない。採点の仕方に問題があるとは言った。

以前の研究会のときに、二人ならんだ参加者だけに旗がたった。拝見すると、今まで見たこと
がない独特の表現でよかった。隣の花をみると、そっくりだった。独特ではあるけれども
二人がそっくりさんでは、個人の独創的な表現とは思えない。
審査の先生の社中なのだろう。自分が特別に教えた社中だけに旗を立てたのでは、
研究会に真剣に臨んでいるほかの多勢の社中が可哀相だ。

雲景がまだ若いころ、審査の別の男性先生から、講評で集中攻撃を受けたことがある。
大きな声で、「そこのひと〜!」
会場の後ろの方にいる雲景の方角を指さした。
悪いところをひとつひとつ酷評するのであるが、その一つ一つが雲景の生け方であったので、
そこのひと〜!、と指差したのは雲景のことらしい。指導者というよりも、多勢の参加者のまえで、
威丈高にひとりを叩き潰して、鬱憤を晴らしているように見えた。これが指導者なのだろうか。

審査をする人は、研究会で採点する権限があるけれども、審査される側も、審査する先生がたの
知力や判断力や、お人柄や、そして指導力を審査しているのですよ。
恣意のままに振舞う一握りの存在が、雲景のこころのオアシスに影を落とす。

研究会という所は、流派の繁栄のためにも、支部の会員を育てたり、より良く導くためにある。
いけばなが好きなのに、どれだけ多くの会員が、失望して辞めていったことだろう。

「そこの先生がた〜、やめてくださ〜い。支部が滅亡してしまいますよ〜」
言い返したいけれども、言ってしまったら袋叩きにされそうなので、皆が口を噤んでいる。

流人であれば、流派のいけばなを学ぶのは必須科目である。
流派の花を上手に生けられるようになるのが、第一の目標だ。
審査の先生との感覚の相性がわるくて失敗することもあったけれども、流派の表現目的の
エッセンスを盛り込んでいければ、その後も良い点数がとれた。

雲景はいつの間にか、どのようにしたら良い点数がとれるのでしょう ?
今日の審査の先生はどなたでしょう ? その先生のお好みは ?
対策を考えて、媚を売った花をいけるようになっている自分に気が付いていた。


                                続く(編集未完)
どる
づく