ARARA - 21-73
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雲景のあららARARA
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あららARARA Web劇場ー名前の検索
懇親会を早帰りしても、帰宅したのは午後11時を過ぎていた。
台所の蛍光灯のスイッチをいれた。
チカチカと点滅したあとに、小さい方のリングが消えてしまった。
蛍光環を見上げると 「NISHISHIBA」 とプリントされていた。
今まで気にもとめていなかったメーカーの名前が気になった。
西芝につとめていた副家元の顔が浮かんでくる。気分転換に台所のラジオを聴こうとした。
音量がちいさい。ボリュームを上げても変わらなかった。電池を交換した。
おやおや、携帯ラジオから引き抜いた単3電池の2個も 「NISHISHINA」だ。
こころがざわめいて、居間やほかの部屋の照明をみた。
蛍光環はすべて 「NISHISHIBA」 とプリントされている。天井ちかくに冷暖房機がある。
ふたの左の端に表示されているメーカーの名前まで「NISHISHIBA」 だ。
台所にもどって、炊飯器・電気ポット・電子レンジ・トースター、その他の家電製品のひとつ
ひとつを調べてみた。
洗濯機が「NISHISHIBA」だった。
二階に駆け上った。
蛍光灯や冷暖房機も「NISHISHIBA」だ。
まあ〜、まあ〜、なんという深いご縁でしょう。
雲景は西芝の電気製品にかこまれて生活をしている。夜になれば西芝の蛍光灯が雲景を照らす。
「西芝の製品に恨みがあるわけではありませ〜んよ〜」 心の中で独り言をいった。
滅入った気分で帰宅した雲景は、独り言に緊張もほどけて、ご縁に笑い出すしかなかった。
家の中にはいくつの電気製品があるのだろう。パソコンは西芝ではない。掃除機が西芝だ。
友人のCさんが銀座に誘ってくれた。勉強会の三日後の2011年4月25日だった。
大学時代の学友が油絵の個展をひらいているそうだ。
心配して誘ってくれた元苦情処理担当の気持がすぐに読めた。銀座にひっぱりだして雲景に
気分転換をさせようとの計らいだ。
画廊をひとめぐりしてから、銀座の表通りのカフェテラスに落ち着いた。
テーブルはカフェの建物の外にもいくつもあった。オープンスペースの白いテーブルに
横に並んで座った。日本のカフェは50年遅れている、と思った。
日本人が観光旅行で海外に自由に行かれるようになったのは、1964年だ。雲景が勤め始めた
年になる。社会人になってから50年ちかくの歳月がながれた。遠くにきたものだ。
50年まえは、道路に面したオープンスペースのカフェが日本人にはまだ珍しく、パリ観光の
目玉の一つとして海外旅行の案内書に写真が載っていたりしたほどだった。当時の日本人は
日本脱出に熱をあげていた。バブル時代の幕開けだ。
地方の田舎から航空会社に勤められた人がヨーロッパに行くと聞くと、村中の人が集まって
壮行会をひらいてくれた、等と、いまでは笑い話になるような時代であった。
となりのテーブルには男性の若者が二人座っていた。コーヒーカップの側には携帯電話が
二つ出してある。二人とも楽しそうに会話をしながらも着信待機だ。いつでも電波でつながって
いなければ落ち着けない現代の若者たち。50年まえのパリのカフェではなかった光景だ。
50年後の銀座のカフェはどのようになっているのだろう。時代の流れとともに雲景もCさんも
とっくに押し出されて、50年後の新しい時代のカフェにくることはない。世の中の日進月歩は
目まぐるしく、50年前は、いけばな人がブログやホームページの発信局になっているとは、誰が
想像できただろう。50年後のいけばな界を想像しようにもイメージが湧いてこない。
宇宙でいけばな大会でもしているのかな?
テーブルの前を通行人が行きかっている。
忙しそうに歩いているこの人達の数ほどにさまざまな喜怒哀楽がある。
雲景の目のまえに現れては通りすぎて消えていく人々の姿は、外側からの背格好しかわからない
けれども、心の中には宇宙ほどの広がりがあるのでしょう。何を考えて歩いているのだろう・・・、
等とぼんやり思いながら街の風景を眺めていた。
「勉強会の人たちは何と言っているの?」
ふいに訊かれた。
「何も言わない」
「・・・?????・・・・・冷たいのね・・・・・」
ドキリとした。図星をつかれた。
懇親会は雲景に冷たかった。誰一人として味方の発言をする人はいなかった。
それなのに雲景はナンダカンダと理屈をつけて、心を支えるために、疎外されている自分を
取り繕うと懸命になっていた。
「今は、事実を知らせてあるから、少し安心している」
「あなたの心は痛いわ !」
Cさんは雲景の心をスパッと切り開いた。並んで座っていた上半身をひねって雲景の方を向いた。
雲景の表情を覗き込んだCさんの眼は、雲景の返答を怪しんでいた。
本当のことを言われるのは、本当に痛い。
痛かったけれども、雲景のこころを代弁してくれた。
いけばな界の 「沈黙は金なり」 をどのように説明したら解ってもらえるのか自信がなかった。
「伝統文化の人たちは、まあまあ主義とか、なあなあ主義なのかしらね?」
「すべての人がそうではないわ !」
雲景のこころは矛盾している。Cさんが真剣に心配してくれているのは十分にわかっていた。
心の中は血が滲み出そうなくらいに痛いのに、いけばな人を庇う気持ちが沸いてくる。
続く(編集未完)
いけばな界とWeb界に、善き栄えあれ。