「松本城」。 | |
松本市は長野県内唯一の空港を持ち、鉄道もJR線篠ノ井線、JR大糸線、松本電鉄線が分 岐する交通の要。 「松本城」を中心に、「旧開智学校」、「松本市時計博物館」、「松本市はかり資料館」、「日本民族資料館」、「松本歴史の里」、「日本浮世絵博物館」、「中町通り」。松本駅前から本町通り経由で「松本城」を回るバスが30分間隔で松本周遊バスが運行されていました。 | |
松本駅。 松本駅ホームに着くとどこか懐かしい「まつもと〜」の声が、私の耳に心地良く聞こえて来ました。 |
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特急「しなの」・JR松本駅構内。 上の写真をクリックすると、別ウィンドウに写真が開きます。 | |
北アルプスや「美ヶ原高原」の山並みを背景に立つ松本市のシンボルで、現存する「天守」としては、「犬山城」、「彦根城」、「彦根城」とともに国宝に指定されている名城。戦闘に有利な山城が多く築かれた戦国時代の中で、「松本城」は異例の平城。桃山様式の優美さ漂う外観とともに、敵の侵入を防ぐ「石落」や「鉄砲狭間」など、臨戦態勢の工夫が施された仕掛けも見どころでした。「中町通り」の北を流れる女鳥羽川は、侍町と町人町を分けた川で、堀の役割も果たしたようです。 | |
松本城。 上の写真をクリックすると、別ウィンドウに写真が開きます。 | |
「高麗門」入り口には歴代藩主の家紋が、暖かく迎えてくれました。 「高麗門」を入ると枡形に成り重要な入り口の「黒門」が有ります。
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松本城入口、「高麗門」です。上の写真をクリックすると、別ウィンドウに写真が開きます。 | |
天守閣 5重6階の天守を中心に「渡櫓(わたりやぐら)」(国宝)で「乾小天守(いぬいしょうてんしゅ)」(国宝)をつなぎ、「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」(国宝)と「月見櫓」を付設した独特の美しい構造。創建当時のまま現存する貴重な「天守閣」だそうです。外壁は上部が白漆喰、下部が黒漆塗りの板張りで、窓が極端に少ない。内部に入ると、各階をつなぐ階段は55〜61度もの急勾配なうえ、蹴上げが高く、居住性よりむしろ戦闘への備えがうかがえるそんなお城でした。 黒漆塗りの補修は毎年9月に行われてるとか?。
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本丸御殿跡側から見た松本城。上の写真をクリックすると、別ウィンドウに写真が開きます。 |
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窓がない暗い部屋や、「天守」は閣は外からは5層に見えますが、内部は6階になっていて、天守2階にある鉄砲の資料展示室。種子島鉄砲伝来から、江戸末期までの日本で製作された火縄銃を中心に展示されていました。 | |
上の写真をクリックすると、別ウィンドウに写真が開きます。 | |
天守閣では、戦国時代の主力武器である鉄砲戦のへの様々な備えを見ることが出来ました。厚い壁には「矢狭間」・「鉄砲狭間」あり、「石落とし」が設けられていました。
6階に登る階段(天主5階):重臣たちが戦いの作戦会議を開く場所と考えられています。ほかの階にくらべて天井が高く4.54メートルあり、そのために6階に登るこの階段にだけは踊り場が設けられ、階段が緩やかになっていした。 |
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御座の間(天主4階):書院造り風のこの部屋は、いざというときは城主がいるところ(御座所)になりました。天井が高く、四方から光が入ります。柱はすべて桧でかんながかけられ、鴨居の上には小壁もあり、ていねいな造りになっています。 記念写真を撮影する方が大勢居ました。世が世ならなかなか座れない場所ですからね。 四階の床と天井の高さは約4メートル有るそうです。この4階から5階に昇り階段は松本場内で1番急な階段で、61度の階段でした。 |
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御座の間。 | |
最上階(天主6階):ここは戦いのとき、周りの敵の様子を見るところ(望楼)として使われました。天井には井桁梁でがっちりと組みこまれています。天井中央にまつられているのは、26(二十六)夜神という松本城を守る神様だそうです。 |
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26(二十六)夜神という松本城を守る神様です。 | |
松本城、場内の見学も未練の残しつつ、場外に。 | |
辰巳附櫓2階・月見櫓見た本丸御殿跡。 |
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松本城天守群は、「大天守(だいてんしゅ)」・「乾小天守(いぬいこてんしゅ)」・「渡櫓(わたりやぐら)」・「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」・「月見櫓(つきみやぐら)」の五棟で形成されています。「大天守」と「乾小天守」を「渡櫓」によって連結し、「辰巳附櫓」と「月見櫓」が複合された連結複合式の天守です。 |
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松本城・雪の松本城。写真左から。「 月見櫓」・「辰巳附櫓(たつみつけやぐら)」・「大天主・渡櫓(わたりやぐら)」・「乾小天守(いぬいこてんしゅ)」。 | |
黒門: 本丸に入る正門で、本丸防衛の要で一の門(櫓門)は1960年に復興し、二の門と袖塀は1990年に復元されたようです。 太鼓門:天守閣築城のころに築かれた松本城の二の丸の正門。1871年に取り壊されて以来、石垣のみが残されていたが、1999年3月に3年の歳月をかけて128年ぶりに復元されたそうです。一の門(櫓門)と二の門(高麗門)からなり、門台石垣の上に時や登城を知らせる太鼓楼があったことから太鼓門と呼ばれたそうです。 |
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松本城「高麗門」。 |