<うし> うしとお金もうけしよう!? フォトギャラリーへ
<ひつじ> ひつじとあそぼ フォトギャラリーへ
ちゃぼ にわとり ウコッケイ
<うまの はるちゃん なおちゃん>
<いぬの さくら てつ ラブ まんごろう 新之助 ミルク レオ>
さくら
てつ 1代目〜4代目
ラブ
まんごろう
新之助 ミルク
超大型犬の首輪は特注で1万円以上ということで・・。ポンプ・ホースの首輪
レオ
<ねこの じじ ポポ 他>
< ちゃぼ3羽 >
平成6年に入植祝いにとの事で、なかまさん(標茶町五十石で、民宿を経営し、ひつじ、やぎ、あひる、がちょう、にわとり、うこっけい、七面鳥、ぶた、犬などの動物を飼って、半自給自足の生活を送っているお方)よりいただきました。
白いチャボはメスでゆきちゃんと呼んでいました。オスチャボもいて、春になると、卵を上手に抱いて(21日ぐらいの抱卵の間は、ササッと食べに行く他は、じっと卵を抱いています)、ヒナをかえしてくれます。
こっそり隣の家のニワトリの卵(有精卵)も抱かせたら、ニワトリと気づかずに抱き続けて、ニワトリのヒナもかえりました。ゆきちゃんは、自分より大きくなったニワトリを、変だなぁとも思わずに一生懸命世話をやいていました(まるでカッコウのようなことをしている私達・・??)。
そしてチャボとニワトリあわせて5羽になって共同生活をしていましたが、羊のまりちゃんを襲った憎っくき野犬に襲われ死んでしまいます。ニワトリ小屋の外から穴を掘って、そこから侵入したらしいのです。
その後、鶏舎の中を50センチほど掘り下げ、ネットを張り、土でおおって穴を掘っても入れないようにしました。そしてめげずに、ニワトリをもらって飼うことにしました(平成11年から)。
<にわとり5羽>
2年に1度、知人であるポロニ養鶏場の廃鶏をもらっています。
知人が経営しているポロニ養鶏場では、300羽ほどの鶏を、ヒナから一貫して国産有機飼料で飼育し、また平飼いでのびのびと育てています。また、くちばしを切っていませんので(普通は、配合飼料のえさを食べやすいように、生まれてすぐくちばしの先を少し切るのです)、かぼちゃなども丸ごとかじれます。ただ、経営収支としては産卵率も重要で、毎年、廃鶏も出てしまうとのこと。
うちでは、ある程度産んでくれればいいので、その廃鶏をいただいては、あと2年ほど飼って、再び、ポロニ養鶏場の廃鶏に混ぜていただいています。廃鶏とは言っても、夏には産卵率は100パーセント。それでも2年ぐらい飼っているうちに卵をあまり産まなくなってきますけれど・・・。
その鶏は自分で処理して最後はお肉にしていただくべき・・となかまさん、ポロに養鶏場大木さん。いーちゃんはうちの敷地内でやる(首を落として、血抜きをして、お湯につけて、毛をむしって・・)のはやめてくれ、自分は鶏肉を平気で食べているから、そんなことを言うのがおかしいってわかっているけれど心情的にできないし、見たら食べられない・・そうで・・。
<うこっけい5羽>
平成12年の秋、別海のアウルファーム(ひつじ、やぎ、がちょう、うま、にわとり、うこっけいなどの動物を、趣味で飼っています)に用事があって子どもをつれて出掛けて行った時に、「うこっけいが増えすぎて困っているんだけれど要らないかい?」と聞かれました。
ヒナを見て、子どもはもうその気になっています。それで7羽をいただいて帰ってきて飼っていましたが、そのうちの5羽はオスでした(うこっけいは、生まれたばかりの時はオスメスの区別が難しい)。オス1羽で、1日に50羽ほどのメスと交尾できるらしく、オスが複数いると争いのもとになります。
それで、悪いと思いつつ、金沢さんちに連れて行きました。そして、そのオスたちは、年越しそばになったらしいです。
うこっけいも、子育てが上手だなぁと思います。卵を抱き始めた時に、その卵をとろうとしようものなら、容赦なく襲いかかってきます。そういうわけで、当然ヒナが生まれオスも生まれます。今度こそ食べてみようか・・と思いつつ、たまたま繁殖に使いたいという人がいて、もらってもらいました。でも今年もきっとオスは生まれる・・・。今年こそは・・・。
コラムでも書いたように、クマネズミに襲撃されるようになり、五郎さんに譲って、以後打つ手なく、現在もまだ飼っていません・・。
< はるちゃん 道産馬(北海道和種)>
めす 平成5年7月7日生まれ 登録名は“天姫”
ある日「馬飼わないか?欲しかったらやるぞ」と山こうさんから言われました。「うまくいったら牛追いもできるかも」とも。そこで私達は、もらって飼ってみることにしました。その馬に、山こうさんの本名から1字もらって“はるちゃん”と命名して。
乗馬できるように、いろいろやって、一応乗れるようにもなりましたた。でも、あくまで一応。道産子はとても頭が良いのです。そして相手を見ます。まず背中にまたがったとたん、振り落とすように飛び跳ねるのです。その時、振り落とされてしまうと、こちらを向いて、フフフ・・と笑われているように感じてしまいます。
もし最初に振り落とされなければ、一応こちらを落とそうとはしなくなりますが、素直に言うことを聞くわけではなく、右といっても左へ、進めと言っても止まったり。で、教える人がだめだと、言うことを聞いてくれないな・・・と思い、馬で牛追いするのはあきらめました。
うちに来る人のほとんどが、「はるちゃんは乗れる?」と聞いてきます。「一応乗れるよ」と言うと、「乗ってみたい」と言います。そこで、“一応乗れる”という意味を説明して、「自信があったらどーぞ♪」と言うと、みんな考え込んでしまいます〜♪
調教されている馬に乗ることは簡単ですが、そうでない時は、馬と心を通わせなければなりません。私達は、いまいち心を通じ合わせることができないものですから、きちんと調教できないのです・・・トホホ・・・。馬そりだってしたかったのになぁ。
最近では、仕事の友になってもらうという考えを改め、すっかりペットとして飼っています。でも、はるちゃんって、うちの動物の中では根強い人気。なんてったって仕草がかわいい。目がかわいい。なぜ心地もいい。特に鼻のところは、ビロードみたいな肌ざわりで、ついついなぜるとやみつきになってしまいます。
呼ぶと、遠くからすごいスピードで走って来てくれる所も可愛い所。ものすごく良く食べるペットなので、維持管理は大変なのですが・・・。
一方、はるちゃんは頭が良いので、脱走することもいろいろ考えます。そして、脱走した暁には、うちの冬の牛用にとっておいた草をズタズタに!!それも、あちこちのものに口をつけて。ひぇー!! 1度は、隣の家まで出かけて取れたての牧草をパクパクかじり・・やめてー!! だからこちらも、脱走されないように知恵比べの毎日です。
近所の馬の牧場でデートをし、春になると子馬を産んでくれますが、毎年毎年なぜかオス。オスを残すと、そのままだったら近親になってしまうし、去勢は結構大変そうだし、もしはるちゃんが死んじゃったら、山こうさんからの頂き物である道産馬を途絶えさせてしまうし・・と思い、残すのはメスにしようと思っていました。2頭以上を飼うのは、えさの確保から無理があるので、メス2頭で飼いたかったのです。毎年出産するたびにがっかりしていましたが、2002年、5回目の出産にしてようやくメスが生まれました。おまけにうまどし♪ やったー♪♪
その馬に、よく遊びに来る保育所の子どもたちが、“なおちゃん”と命名してくれました。毎年親子で過ごしている姿を見て、“お馬の親子は仲良し子良し、いつでも一緒にぽっくりぽっくり歩く”という歌そっくりだと思います。こんなに仲がいいんだなぁと。
2007年、なおちゃんの足からばい菌が入って全身を回り、回復せず天国へ・・。はるちゃんは、しばらくずっと啼いておちつきなく走り回っていました・・。子どもがいて、馬を増やすのは大変なので、繁殖はしないで現在に至っています・・。
< さくら=いぬ 推定では平成5年2月生まれ めす>
―さくらがうちに来たわけ−
平成5年5月、推定年齢3ヶ月で、もーちゃんがもらって飼う事にした犬です。ちょうど桜が咲いていた頃だったので“さくら”という名前にしました。さくらは、2月に“ムツゴロウ動物王国入り口に、箱に入れられて置かれていたという(生まれたばかりのようだったらしい)ことで、王国でしばらく過ごしてやってきました。
よくテレビを見ていると、王国でいろいろな生き物を保護して飼っている映像が流れますので、育ててもらいたいと思ってか、動物をこのようにして置いていく人がけっこういるらしいのです。ところが現実には、犬は血統のはっきりした由緒正しい犬でないと王国の中では飼えないそうで、結局は保健所送りになるらしいのです。
さくらも本当は保健所送りの運命だったのです。ところがそこで働いていた人達が、ちょっとぬいぐるみのようでコロコロしていたさくらを気に入ったようで、かといって飼い続ける訳にもいかず、でも保健所に出せず・・という状態で3ヶ月が過ぎたそうです。
そして、もーちゃんに電話がかかってきました。“見せたいものがあるので遊びに来ないか”と。遊びにいくと、さくらを抱っこさせてくれました。そして“かわいいと思わないか?”と。“飼ってもらえないか”と。
そういう訳で、ずっと飼っています。保健所送りになった他の犬の分まで生きるんだよと言い聞かせていますが・・(?)。 最初に発情が来た時、増えたら困ると避妊手術をしてもらったのですが(王国で、無料でしてもらった)、せっかくだから1回ぐらい出産させてあげればよかったかなぁ・・と後から思いました。さくらの子どもがほしいと何度か言われたこともあり。
誰かが来ると「わんわお〜ん」と番犬をがんばりました。2003年夏、何度か食欲がなくなり、肛門周囲に腫瘍のようなものができていて、便もスムーズに出ない様子。夏に入り、徐々に弱り始め、最後は家の中で寝たきりになり、家族みんなで見守る中で旅立ちました・・。今でもふっとさくらの声が聞こえるような気がします・・。享年10歳。
<テツ=いぬ 実は今いるテツは4代目>
−1代目テツのこと−
いーちゃんが友人から頼まれて、もらって飼うことにした犬です。畜産大学で動物の勉強をしていたということですが、オスだと思いこんで「テツ」という名前にして飼っていたんですって!?そのうち、だんだんおなかが大きくなって、子どもを産んだそうです。“えっ?”といーちゃんは思ったそうです。それでとりあえず、「テツ」って呼ぶけど、本名は「テツ子」ということにしたらしいです。結婚してから、仕事柄、たくさん出産があって、オスかメスか見分けなければならないのですが、なぜかいーちゃんは“どっち”と聞くばかりで、自分で見ないんですよぉ・・。
平成5年、結婚したあと、引越ししましたが、テツは前のことが忘れられないようでした。ふとテツがいないなぁと思ったら、元住んでいたところ(今の家から15キロぐらい離れている)の近くの人から電話がかかってくるのです。何と、もとの家の近くでじっとしているということで・・・。うちで一緒になった犬のさくらが、なれなれしいのもいやだったのかもしれません。半年ぐらい戻っていました。車が大好きで、後ろをどこまでもついてきますし(10キロぐらいは平気)車に乗せてやるともっと喜び、自分からも飛び乗ってきます。
平成6年、北海道にしてはものすごい猛暑となりました。その夏に、テツはだんだん元気がなくなってきたのです。原因はわかりませんでしたが、結局助けることができませんでした。いーちゃんはオイオイと泣きました。もーちゃんも、その日にやってきたばかりのあきよちゃんも泣きました。かわいがってくれていた隣のおばさんも泣きました。もうちょっと長生きしてほしかったなぁ。
それまでテツがうちの番犬でした。誰かが来るとワンワンほえるのです。それまでさくらはほえた事がありません。ところがテツが死んだ翌日から、誰か来ると、さくらがワンワンほえるようになりました。とっても不思議でしたが、犬社会があるんだなぁと思いました。
−2代目テツのこと−
1代目テツが死んでしまった1ヵ月後、さびしいだろうと(?)友人が、1代目テツの孫にあたる子犬が産まれたからと、プレゼントしてくれました。すくすくと成長していったのですが、さくらははじめの2ヶ月間ほどは、ひどくやきもちをやき、近づいてくる子犬に“ウー・・・”と、うなっていました。
でもだんだんと、2代目テツとの距離も狭まっていき今ではすっかり仲良しです。
また、とても人懐こくてすぐに近所の人気者になりました。特に子どもに気に入られていて、毎週うちに遊びに来る(私達と遊びたくて来ていたみたいですけど)子どもたちがいました。
その冬のある日に、近所の子どもたちが1日うちで遊んで、帰るときに、チョコチョコとテツが子どもについて行ってしまったようです。知らないおじさんの車に近所の子どもが乗って、テツがうちに連れてこられて来た時には、もう意識もないようでした。子どもたちからあとで聞いたところ、歩いていたら、後ろからすごいスピードで車が来て、テツがひかれたと・・・。もうちょっとで自分たちも、ひかれるのではないかと思ったと言っていました。それでも、そのおじさんは、「すみません・・これでお花でも買ってやってください」とお金を渡そうと。「息もしているし、大丈夫ですから・・・こちらもいぬをつないでなくて悪いですから・・」と言ったら、そのまま帰られました。
でもテツはその夜に死んでしまいました。敷地外に出たことがなかったテツなのに・・・。
そして、さくらは、また、ひとりぼっち・・・。
−3代目テツのこと−
2代目テツが死んでしまった翌春に、友人がうちに犬を持ち込みました・・・。今度のテツはひどく人に対して警戒心を示し、手を出すとビクビクとし、人のそばにいても安心できなくて、さくらに何とかくっつこうとするのに、さくらはといえば前と同じ調子で、早々すぐには気を許さず、私達に助けを求めます。それで、3代目テツは、チョクチョクいなくなりました。そして見つかったときには、どこかの犬にくっついていました。やれやれ。
それでも毎日声かけしていると変わるもの? だんだん、人間も悪い人じゃないのかなぁと感じてくれたのか、自分から近づいて抱っこをせがむようになりました。
その頃、うちには近所の“ダイスケ”という犬が、しょっちゅう遊びに来ていました。敷地の外にはまず出ないテツだったのに、その犬について出かけ始めたので、やっぱり、犬はちゃんとつながなければいけないなぁ・・・と思い始めて準備していました。
その夜、うちにまたダイスケは来ていました。それからしばらくたってから、「今、飛び出してきた犬をひいてしまったんだけれど、犬みんないるかい?」と近所の人が訪ねて来てくれて、見に行ってみると・・・。テツ・・・。ショックでしたが、近所の人はもっと気まずい思いだったでしょう。
翌日から、敷地外に出なくても、犬はつなぐことにしました。そしてさくらは、またひとりぼっちになってしまいました。
−4代目テツのこと−
3代目テツが死んでしまって1ヵ月後、学校から突然、電話がかかってきました。ダンボールに犬が入れられて、学校の前におかれていて、保健所に送らなければならないかなと思いつつ、飼ってもらえないかと思って電話してみたとのこと。
その時、うちにいたもっちが、「殺されるのはかわいそう。うちで、飼ってもらえるかも?」と言ったらしい。
そしてヨークシャーテリアがちょっと入ったような子犬が4代目テツとして、家族に加わりました。さくらは、相変わらずテツとの間に距離を置いていますが、2ヶ月ほどで親子のように仲良くなりました。そして、さかんに遊び相手をするようになり、オバサンから、ママぐらいまで若返りました。
そのテツはメスでした。すぐに避妊手術をしても良かったのですけど、さくらのこともあって、1回は産ませてあげようと思いました。そしたら本当に妊娠しました。そして5匹も子犬を産みました。お相手は近所のミッキー。
陣痛がやってきた夜、テツはキーキーと鳴くので家の玄関に入れてやりました。キーキー鳴きながら、1匹目を産みましたが、子犬をなめようともせず私達に助けてくれといわんばかりに、鳴き続けます。
もーちゃんは、産まれた子犬をテツの前に置きました。そしたら一応ちゃんとなめます。そしてだんだん状況が呑み込めてきたようで、2匹目が生まれたときには、自分でちゃんとなめて、キーキー言わなくなりました。
テツは誰に教えられた訳でもないのに、上手におっぱいを飲ませ、子犬から片時もはなれず、とてもお母さんらしくなりました。その子犬たちの飼い主も決まり、2ヵ月後には、それぞれのところへ貰われて行きました。
“テツを踏む”ということわざがあるから、名前を変えたほうがいいよなんて友人たちから言われていますが、それからもテツは元気です。
2012年3月12日に新之助が我が家に来て以来、老犬同志、ウマが合うようで、いつもいっしょ。気ままな散歩を楽しんでいましたが、8月21日に不慮の事故で天国へ・・(泣)
<
ラブ=いぬ 年齢不詳 おす>
−ラブがうちに来たわけ−
1999年の春、浜中町のきりたっぷ湿原センター所長Iさんから、センターの前に、ラブラドール交じりと思われる成犬(まだ若そうだとのこと)が2〜3日前からうろうろしていて、自分の家には、頼まれて買っている犬がいっぱいいて飼えないので頼めないか・・との事。
ちょっと、すねた目をしているので、誰かにいじめられた事があるかもしれない・・・。ということでした。会って目を見つめると、目をそらし・・。
さくらが、ラブには不思議とすぐに慣れました。さくらがいやなのは子犬なのかラブとはすぐに仲良くなったのです。
ラブもうちに来て5年が過ぎました。気がつくと、だんだん目をそらさないようになって来ているような・・・。そして、喜びの表現はとてもかわいい。
カミナリが鳴ったり、地震がくると、キャンキャンほえて助けを求めて飛びついてくる超こわがりでもあります♪
2011年、ゴールデンウィーク明けから突然具合が悪くなり、少し持ち直したものの天国へ・・。家族みんなラブを抱きしめてオイオイ泣いてしまいました・・。享年13歳位。
<まんごろう=いぬ 年齢不詳 おす>
2001年6月に、学校に犬が迷い込んできたそうで、なぜかうちに学校から電話がかかってきました。飼ってもらえないかと。ゴールデンレトリバーがちょっとかかったような、さくらよりも大きな犬です。
うちには、当時もう3匹の犬たちがいて、とても飼えないと思ったのですが、誰も引き取り手がいなければ、明日、役場の人が引き取りに来るというのです。それで、誰かもらい手が見つかるまでだけだったら預かることはできると答え、その犬が我が家にやってきました。
そのころ好きで見ていたテレビ「古畑任三郎」に出てきているゴールデンレトリバーの名前にちなんで、とりあえず「まんごろう」と呼ぶことにしました。
歯の状態と、耳の遠さの度合いから、かなりの老犬だと思われました。そして、家に上がりたがります。座敷犬だったのかしら? とりあえず、つなぐところを作ったのですが、つないでそばを離れると、ウォーウォーと鳴いていました。
よく見ると、身体に、腫瘍らしきものがたくさんできていて、そのうちのいくつかからは排膿していました。家の中で飼われていたけれど、飼いきれなくて捨てられたのでしょうか? こんな老犬を・・・。
これではもらい手も見つかりそうもないと思いました。獣医さんに見てもらうと、肥満細胞種という悪性腫瘍とのこと。
縁あって、善意で手術はしてもらうことができました(無料で)。そのあと、学校の先生で、犬を家族のようにかわいがっているM先生に事情を話して、長くは生きられないだろうけれど事情をわかった上で飼ってもらえないだろうかと頼んでみた所、引き受けてもらえました。
まんごろうは、このM先生のお宅で、幸せな余生を送り、静かに息を引きとったそうです。
動物を飼おうと思う人は、最後まで面倒を見てほしいですワン・・・。
<新之助 ミルク>
2012年3月12日、
推定10歳の新之助(セントバーナードとピレーネー雑種の超大型犬)と
推定2歳のミルク(ソフトバンクのおとうさんにそっくり)が
釧路町昆布森から我が家にやってきた。
子どもさんがアレルギーとのことで・・。
ミルクは警戒心が強い犬で慣れるまでにかなりかかったけれど、
いまでは家族には慣れ、窓から家をのぞく姿は超かわいい。
けれど、誰かが近寄って来ると警戒心を前面に出して近寄るな!オーラ全開。
なので、みなさん無理して近寄らないでくださいね。
かみつきそう・・。
女の子には比較的早く慣れます(^○^)
一方、新之助はおっとり、のんびり。
とっても、癒し系の犬なのだけれど、なんせ超大型犬なので、
犬が苦手な人には恐怖な存在。
玄関口まで来ていながら、
犬が怖いのでお迎えに来てください・・と携帯コールが時々。
帰ってしまう人も時々。
てつは新之助との気ままなお散歩&ひなたぼっこが大好き。
そして、新之助とてつは、すきあらば家に入ろうとうろうろ。
誰かが玄関を開けっぱなしにしていると、すかさず涼しい顔して入っています。
仲良しのテツが夏に事故で天国に行ってから、新ちゃんの元気もなく・・。
夏バテ加わり、新ちゃんも天国に・・(泣)
<レオ>
2013年5月5日、ネイパル厚岸「子どもの日フェスティバル」で
かーきちがレオを連れて帰りたい!
ということで、我が家にやってきました!(^^)!
一人遊びが得意で
1匹の虫をじーっと見ていたり
石ころで無邪気に遊んだり...。
穴を掘ったり、灯油のホースもおもちゃにするので
家から、ちょっと離れたところにつないでいます。
でもレオから家の中が見えるので
いつもワンワンと呼んでいます。
< 猫のじじ・ポポ・他 >
2007年春、
数年前から牛舎にいついていた猫の
「お腹が大きい気がする、親猫一匹牛舎にいるぐらいは平気だけど、
子猫がたくさんうろうろしたら喘息が悪化しそう・・」
と心配するいーちゃん。
そこで、昔猫と暮らしていたもーちゃんが、その猫をジジと命名し、
煮干をダシに日々接近、ついにめでたくだっこに成功、
雄であることを確認し・・。
そしていい味も出してくれ、
ヒトとの関係が心地よいことを徐々に体得していきますが、
野良生活が長かったせいか、
かーきちが4歳になったある日、
もーちゃんはみちえちゃんとデートすべく、
かーきちをはじめていーちゃんに預け出かけた30分後・・。
ふざけたかーきちの手ににジジがガブリと・・。
かーきちは血だらけ、いーちゃんはパニックで、
もーちゃんはすぐ電話で呼び戻され・・。
それからもジジはかーきちにはずいぶんかみつき、
何をしてもかまなくなったのは1年くらいたってから・・。
又、その後、もう1匹雄子猫が居ついて、
こちらはジジと私達との関係を見てすぐになつき、
もーちゃんがポポと命名。
噛む事もなく、2匹平和に牛舎で暮らし、
いーちゃんの喘息が悪化する事もなく、すっかり家族の仲間入り。
ところが、2008年、ジジは何者かに襲われ、
2010年のある日、ぽぽはいなくなってしまいました・・。
どこかで無事に生きてくれているといいのですが・・。
それからも、
うちの牛舎の牛や犬のえさを食べにくるねこちゃんたち何匹かと暮らしています。
いーちゃんが大きらいなネズミ取りの名人なので、共働生活の大事な友です。