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         巨木・楠
大乗寺のシンボルとなった樹齢1200年の楠

          昔の鉄橋の橋脚
あと80年ほどもつが、そのためには毎年錆び止め塗装とボルトの検査締め付けが欠かせない。

餘部鉄橋と応挙寺

兵庫県美方郡香美町香住区餘部   撮影:H26.6.3  
兵庫県美方郡香美町香住区森860   撮影:H24.10.7

          空の駅と日本海
通路の床には厚いガラス張りののぞき窓もあり、
迫力満点で、日本海からの風が激しい。

          餘部駅から空の駅へ
餘部駅と空の駅は遊歩道で繋がっており、下の道の駅にもつながっている。
9号線の但馬トンネルと春木トンネルの間で、村岡から湯村温泉方向へ向かい村岡トンネルを出て右折して香住町へ向かへばよい。

餘部鉄橋
この鉄橋は山陰本線最大の難工事で、明治45年(1912年)に2年の歳月と25万人の人夫を投じて完成した。高さ41.5m、長さ310.6mと当時は東洋一の規模だったが、現在でも日本一の規模である。
列車転落事故
昭和61年12月28日13時、回送中の列車が鉄橋通過中、日本海からの25m以上の突風に煽られて機関車を残して転落、下の蟹工場を押し潰し従業員5人と車掌1名が即死した。

新鉄橋と空の駅
老朽化した鉄橋を付け替えるための新鉄橋の建設は2000.3に始まり、
2010.8.12 に運用開始したが、旧鉄橋の一部を空の駅(保存長さ68m、幅3m)として残し、餘部駅に隣接して歩けるようにした。

        客殿の入口
丸山応挙像が入口で迎えて、八方睨みなどの襖絵を案内してくれる。

         応挙寺の入り口
右側に巨木を見ながら石段を登り山門を潜ると、客殿の入り口で応挙が迎えてくれる趣向が見事である。

      餘部鉄橋に続くトンネル
トンネルを出ると直ぐ餘部鉄橋に続くので、海からの横風に煽られる危険性が高い。

大乗寺(応挙寺)
天平7年(745年)行基菩薩が開いた高野山・真言宗のお寺である。江戸中期の画家丸山応挙やその一門の画家たちの襖絵などが沢山あるので、「応挙寺」とも呼ばれている。若い応挙が京都で苦学をしていた頃、当寺の住職・密蔵上人が才能を見出して資金援助をした恩返しとして、客殿新築のとき一門の弟子と共に来て、多くの障壁画を描いた。有名な絵として「八方にらみ」のトリック的な絵も描かれているが、そのうち165点が国の重要文化財に指定されている。

障壁画による立体曼陀羅?
障壁画で囲まれる各部屋の空間が立体曼陀羅を構成していて、応挙は宗教的空間の具現化を意図したのではないかと云われている。

       犠牲者を祀る聖観世音菩薩像
犠牲者を祀るため、カニ加工場の跡地にH63.10に建立された菩薩像。、