伝法院

浅草寺宝物の収蔵庫。昭和20年の空襲で本堂と共に消失したが、昭和39年、ニューオータニの大谷米太郎氏の寄進で復興。当初は仁王を納めていたので仁王門と言われ今でも裏4.5m、400kgの仁王様の大わらじが掛けてある。五重の塔は下の写真をクリック。

浅草寺と仲見世
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浅草寺仲見世
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浅草寺 推古天皇時代の628年、江戸浦で兄弟の漁師が引き上げた網の中に仏像を発見、郷土の文化人・土師真中知命(はじ   のまつちのみこと)にみせたら、聖観音菩薩であった。兄弟の漁師は大漁を祈念して願えば必ず大漁を得た。それを知った土師真中知命は僧になり、自宅を寺とし、観音像を奉安したのが始まり。
浅草神社 彼が亡くなった後、息子が夢のお告げを受け寺を三社権現と称して、漁師と父親の三人を神として祭った
のが始まり。
浅草の語源アイヌ語のアツアクサ(海を越すの意)、チベット語のアーシャ・クシャ(聖のおわす所の意)などあるが、江戸往古図説に  「武蔵野の末にて草もおのづから浅々しき故、浅草と云いしなるべし」とあるのが有力。
仲見世 日本で最も古い商店街の一つ。江戸の人口が増えるにつれて、浅草寺への参拝客も非常に増えたため元禄・享保の頃境内の掃除の賦役を課せられていた近くの人々に、境内や参道上に出店営業の特権が与えられたのが始まり。
本堂内の天井画
浅草寺本堂
伝法院通り
江戸時代から続く最古の商店街。いがいに外人客が多く、
日本的な雰囲気に「ワンダフル」を連発するとか。

本堂正面を入った天井に描かれた、堂本印象画伯作の「天人散華」。他に川端竜子伯の「龍」もある。

江戸時代の寺院で最古の寺。現在の建物は昭和33年に再建された。本尊は聖観音菩薩像で、聖観音宗の総本山。

仲見世商店街を横切り、奥の右側に伝法院入り口があるが、残念ながら一般客は入れない。但し映画のロケには使われる。

仲見世
正面入り口の雷門
雷門裏側の天竜像
雷門裏側の金竜像

最初の門は天慶5年(942年)、平公雅が建立した。その後数度の火災、再建がなされ1635年徳川家光が再建した時、左右に風神、雷神を安置したので「風雷神門」略して「雷門」と呼ばれたが、慶応元年(1865)に消失。昭和35年に再建される迄95年間は幻の門であった。現在の門は松下幸之助氏の寄進によるものである。

金竜、天竜の二つの像は聖観音像が海から引揚げられた628年からの1350年記念事業として安置された。

東京都台東区浅草2−3−1 撮影H19年3月26日、4月23日
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宝蔵門と五重の塔

門の隙間から撮影した伝法院。浅草寺住職が居住する総本坊で、安永6年(1777)の建造。宮様が住まわれたこともある。