幻の安土城と復元天主
大手道
大手道上段
地図
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1575年長篠の戦いで武田勝頼軍を鉄砲の3段連射戦法で壊滅させ、続いて越前の一向一揆を平定し、背後の脅威を一掃した織田信長が1576年に築城を開始した幻の名城。1582年、完成披露に招いた徳川家康の接待役を命ぜられた明智光秀が、料理の不手際を信長にひどく叱責されたことが引き金となって間もなく本能寺の変を起こし、その約2週間後に羽柴秀吉に敗れた明智軍によって焼失した。
 最近、発掘・復元工事が進められ、大手門から天主へ到る石段がきれいに整備されていて、約20分ほどで天主跡に辿り着ける。石段はほぼ400段、中段の100段ほどは段差が40cmほどありかなりきついが、その後は緩やかで楽になる。 南麓に滋賀県立の安土考古博物館と信長の館があり、1992年開催のスペイン万博に出展された安土城の5・6階の復元建築を安土町が譲り受けて、6階部分に金箔を貼り内部に信長が狩野永徳に描かせたと言われる「紺碧障画図」も再現して「信長の館」に展示されている。
滋賀県蒲生郡安土町  H18年3月12日撮影
天主台登り口
信長廟
天主台跡地
幅6Mの石段が直線で約100M続く。以前は全く埋没していたが平成4年から発掘整備された。
1583年、秀吉が二の丸跡地に建てた信長廟。江戸幕府も保護に努めたと言われる。
地下1層、上部6階の城が建っていた敷地で、約40M四方と以外に狭い。
信長の館の復元天主
天主内部
安土山(199m)
本丸から天主台へ登る石段。
七階最上層が金箔、下の6階が黒漆の八角形になっている。
内部の狩野永徳らが描いた「金碧障画図」。
佐々木六角の居城・観音寺城の尾根続きで、当時は琵琶湖へ突き出ていた日賀田山を安土山と改称し築城。
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安土の歴史散歩と風景

このあたりから石段の段差が高くなり上るのがきつくなるが、下の眺めがすばらしい。
上の「安土の歴史散歩と風景」から転記