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平等院

京都府宇治市蓮華116 撮影:H20.5.9

           中州の内側
春の茶席舟、夏の鵜飼、宇治川観光の舟の繋留所。本流と違って穏やかで水郷を思わせる。

         宇治川本流
中の島から天ヶ瀬ダム方面を望む。ダムが出来るまでは急流で、源平合戦時は馬で渡るのが大変であった。

平等院の前を流れる宇治川は、京都の東国に対する防波堤の役割をなし、宇治川合戦として歴史に登場するが、現在では鵜飼の名所にもなっていて平等院見学に彩を添えている。

                       平等院・鳳凰堂
中央が入母屋造りの阿弥陀堂、後ろが宝形造りの楼閣、両翼が切り妻造りの翼楼で、高さ13.6m,東西の長さ41.5m,南北の長さ31.8m。昭和26年に10円硬貨裏面デザインになった。

           源政の墓
宇治川合戦で平氏に敗れてこの地で自刃した頼政の墓が浄土院の中左奥にある。

宇治川:琵琶湖から流れ出した瀬田川が、天ヶ瀬ダムの近くで宇治川と名前を変えて、石清水八幡宮の近くで桂川と木津川と合流して淀川となって大阪湾に注いでいる。

源頼政の宇治川合戦:
平治の乱の時、最初は源頼朝についたが離反して平清盛側に付いた。後、似仁王を奉じて反平氏の乱を起したが宇治川の合戦で破れて自害した。
木曾義仲と義経の宇治川合戦:入洛して暴虐をつくす義仲とそれを追討する義経軍が宇治川を挟んで合戦し、佐々木高綱と梶原景季の「宇治川の先陣争い」が生まれた。

宇治川の鵜飼:
古い歴史を持つ宇治川の鵜飼。古式そのままのいでたちで夏の夕暮れから松明の明かりで鵜飼を披露する。
6月下旬から9月末、乗船は18:30から。

        国宝・阿弥陀如来坐像
鳳凰堂中央の阿弥陀堂の格子戸を通して撮影。
平等院・鳳凰堂:永承7年(1052)関白・藤原頼道が寺院と改め平等院と号し、翌年の天喜元年(1053)に阿弥陀堂を建立した。阿弥陀堂中央に金色の阿弥陀如来坐像、左右の壁には様々な楽器を持った52体の雲中供養菩薩が掛けられている。屋根の南北両端に一対の鳳凰があることから近世以後鳳凰堂と呼ばれるようになった。

阿弥陀如来坐像:1053年定朝作。木像、漆箔の上に金箔。像高279cm。
頬がまるく張り、円満な顔、大きな目が伏目がちに礼拝者を見つめている。

源頼政の墓:
鳳凰堂の裏手にある浄土院の中にあり、毎年5月26日には「頼政忌」の法要が営まれる。辞世句は「埋もれ木の花咲くこともなかりしに 身のなる果てぞ悲しかりける」。

           鳳凰堂中央堂
阿弥陀如来を安置して阿弥陀堂とも言われる。朝日を浴びるように東向きに建てられ、屋根に一対の鳳凰が飾られている。

          朝霧橋
宇治上神社前から中の島に架かる最もきれいな橋で、中洲たもとに「宇治川先陣の碑」がある。

           浮島の塔
中州の端の浮島に十三重塔がある。鎌倉時代、宇治川での殺生の罪を戒めるため、奈良西大寺の高僧の叡尊が建立した供養塔で日本最古最大の石塔。
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   宇治川と平等院