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大王崎

    大王崎

           九鬼一族の墓碑
仙遊寺の庭園内の墓碑。但し鉄船を造った嘉隆は関ヶ原合戦では西軍側だったためこの中にはいない。

大王崎灯台:
大王崎町のシンボル。昭和2年建設、高さ22mあり日本の参観灯台14の
一つで、灯台50選に選ばれている。
絵かきの町・大王町: 
明治時代,千種掃雲・小野竹喬など多くの絵かきが訪れて筆を取り、特に
昭和になってから灯台のある風景を好む画家が多く来るようになったの
で、平成8年に「絵かきの町」宣言をし、毎年コンクールなどのイベントを
行っている。
東洋のニース・東海の尾道: 
画家や映画監督が町の表情がフランスのニースに似ていることから呼ぶ
ようになり、また細い坂道が多いことから、ここで映画ロケをした映画監
から「東海の尾道」とも言われた。
映画では小津監督の「浮草」、小説では川口松太郎の「女人武蔵」、田山
花袋の「南船北馬」の舞台にもなった。   

   

九鬼水軍の根城: 
戦国時代に織田水軍として活躍した九鬼氏は熊野地方の出身で、3代目隆房の次男の隆信が波切の川面家の養子となって波切城主となってから、次第に勢力を伸ばした(1360年代)。戦国時代になって織田傘下に入った九鬼嘉隆は、石山本願寺攻めで毛利水軍と戦って苦戦したが、最後に鉄船を建造して勝利を収めたことは名高い。江戸時代になって大船建造を禁じた幕府は、
九鬼水軍を警戒して兵庫県の山間の三田に移封して陸の河童になったが、
その家老の子孫から戦後、吉田茂の片腕と言われた白州次郎が出ている。
仙遊寺:
 九鬼水軍の菩提寺で、庭内に九鬼一族の墓石が並んでいる。
汗かき地蔵: 
堂の山の薬師堂(九鬼氏の宝物を格納)横の地蔵堂の中に鎮座し、大漁や
豊作の前には白い汗、凶事の前には黒い汗をかくと言われ、近隣の信仰を
集め毎年2月24日には汗かき地蔵祭が行われる。
 
           石畳の道
大王崎の風景画によく描かれる典型的な石畳道の一つ。
            大王崎灯台
上の写真の反対側から見た灯台。この下に狭い石畳の道が多い。
三重県志摩市大王町波切 撮影:H21.5.14


駐車場がないので、灯台登り口のみやげ物店に駐車して散策するのが便利。汗かき地蔵さんは上り口の道路脇に2台ほどの駐車スペースがある。

伊勢自動車道)伊勢西ICを出て右の内宮方面へ向かい、内宮前の交差点を直進し、五十鈴トンネルを潜って鵜方へ向かう。鵜方から260号線に入り、10kmほどで大王町に至る。

大王崎は熊野灘と遠州灘の分界とされ、暗礁・岩礁が多い航海の難所で、最も灯台が必要な岬であった。戦国時代には織田水軍として勇名をはせた九鬼水軍の根城があり、その城址も残っているが、近年はむしろ画家の町として有名になった。

             大王崎灯台
通称「波切の灯台」と言われ、城山の絶壁の上に立ち、波切の重要な観光資源にもなっている。

          九鬼城址
灯台に登って行く途中、八幡さん公園の下にあり、城址としては意外に狭い。

              仙遊寺
九鬼水軍の菩提寺で庭園の手入れが行き届き、
左手の庭内に九鬼一族の墓碑が並んでいる。

           薬師如来
薬師堂に鎮座されるここ堂の山の主役のはずの如来像で、堂内に九鬼氏の宝物が納められている。

          汗かき地蔵
凶事続きで黒いあせばかり出しているのかな?地蔵堂前の石垣に小さな四天王像が並んでいる。

         灯台を見つめる画家像
八幡さん公園にあり、視線の先に左図の灯台がある。ここからの海の眺めがすばらしい。