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永平寺

@法堂(はっとう)内部

福井県吉田郡永平寺町志比5−15 撮影:H19.11.30

           階段内部
左図の廊下内部で、斜面に作られた廊下内部は
広い階段式になっている。

        渡り廊下と中雀門
山門から見た中朱雀門と渡り廊下(左側)。主な建物は
全て廊下で繋がれている。

        仏殿の外観
中朱雀門から中庭を通して撮影。

永平寺の七不思議
1.夜鳴杉
:勅使門と山門の間の五代杉は夜風でキィ
 ー、ヒィーと妙な音色を出す。ある雲水が門前の娘と
 恋仲におち逢引が出来なくなって、娘に出来た子供
 が大杉の根元に捨てられた霊とか。
2.七間東司:ある雲水が足袋を履いたまま東司に入り
 古参の雲水に罰を蒙り苦にして東司で自殺した。
3.山門の柱に礎石がない:左側2番目の柱に礎石が
 ないのは、棟梁の娘を人柱として供養したからとか。
4.首座単の生首:門前の娘と恋仲だった雲水が一番
 頭に命じられ、百日間の禁足が苦になって相手を殺
 して娘の首を首座単の戸棚に入れていたそうな。
5.中朱雀門の拳骨和尚の傷跡:怪力が有名な拳骨
 和尚が柱を平手で叩いて出来た傷跡があるらしい。
6.仏殿の「足場くれ」:新築工事中、大工が転落死し、
 天井を飛ぶムササビの声が「足場くれ、足場くれ」と
 聞こえると言う。
7.二祖大師の点検:道元大師が亡くなってからもその
 廟所を夜半に点検されるので、承陽殿の入り口は
 必ず少し明けておく。今でも役寮点検時には二祖
 大師に会わないようにしているとか。

七堂伽藍:人体図を現す中心的建物。
@頭部 法堂(はっとう):修業僧に説法する場所で、
     境内で一番高い場所にある。
A心臓 仏殿:釈迦牟尼仏を祀る中心の堂。
B左手 庫院(くいん):庫裡のことで厨房、来客接
     待や会計、保全部門がある。
C右手 僧堂:座禅や打眠などの修業をする堂。
D腰  山門:1749年に建立された永平寺最古の建物。
     修行僧が正式に入門する玄関で、
     下層に四天王、上層に五百羅漢を安置。
E左足 浴室
F右足 東司(とうす):お手洗い

吉祥閣:昭和46年に数十億円を投じて建てられた鉄筋建てで、全国15000の寺と800万人の信徒の研修道場である。


傘松閣吉祥閣の隣にあり、平成14年に道元大師の650回忌を迎えるために昭和7年に再建された。二階の160畳の大広間は絵天井として有名。

曹洞宗:南インドのバラモン出身の達磨が開いた禅宗から分派した洞山良价とその弟子曹山本寂によって開かれた。禅宗からは臨済宗も分派し、いずれも仏教の真髄は座禅によって体得されるとする。

開祖・道元禅師:村上天皇9代後胤・久我道親の子として1200年生まれ。24歳で宋に渡り如浄からから曹洞宗を授けられた。1244年に現在の地に大仏寺を建立、2年後47歳の時に永平寺と改称した。

永平寺の概要:
10万坪の寺域に七堂伽藍を中心に70余の諸堂がある。組織として住持の基に約30名の役寮、その下に全国の寺から派遣された100名以上の修業僧がいて修業の傍ら全ての生活業務を全うしている。

北陸自動車道)福井ICを出て右折すると158号線に突き当たるので、そこを左折して158号線を東進する。5分ほどで越坂トンネルを出ると高架になっているので、左側道を出て高架下を右折して,364号線を直進すればよい。
駐車場は門前のみやげ物店の有料Pを利用するしかない。

        境内概略図
@〜Fの七堂伽藍を中心にして建ち並ぶ
様子が見てとれる。

F
E
D
C
B
A
@
 A仏殿内部 
須弥檀中央に釈迦無牟尼仏、右に未来弥勒仏、
左に過去弥勒仏が祀ってある。
380畳の説法をする場所で、中央に聖観世音
菩薩、段下左右に阿吽と白獅子を安置。
        傘松閣の絵天井
昭和5年の文展、帝展に入選した南画の大家144名による230枚の花鳥図。

       傘松閣(しょうさんかく)
160畳の大広間の正面の宮崎奕保・現薫による「傘松閣」の額と大きな掛け軸。

            永平寺への入り口
門前町の通りの奥にあり、永平寺の石碑の右側を進むと右手に参内の通用門があってそこから入る。

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   永平寺(曹洞宗大本山)