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岐阜城
金華山

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        信長の館跡地
稲葉山城を攻略した後、岐阜城と命名しその麓に構えた信長の館跡。意外に狭く見える。

        岐阜城
昭和31年に再建された三層四階の城。天守閣の金箔の鯱が眩しく見える。

        本丸への石段
右の広場が二丸跡で、左の急峻な石段を登れば右の写真の本丸が前面に現れる。

岐阜城と金華山

岐阜県  撮影:H19.5.14

        秀吉の馬印発祥の地
稲葉山城攻略の功で羽柴筑守秀吉と名乗ることになった秀吉の「千成瓢箪」の馬印発祥の地と伝えられる。

       稲葉山城の城壁
二丸の下に鉄砲窓がある城壁の一部。本丸までは約5分ほど。
東海北陸道)岐阜各務原ICを出て21号線を西進し、157号線を北上。途中から256号線に入り歴史博物館前に直進する。そこを左折すれば右側に岐阜公園があり、左側に256号線との間に駐車場がある。256号線から直接には入れないので要注意。
東海北陸道)関ICから行く場合は、156号線の途中で長良川沿いの有料道路に入り金華山トンネルを通るのが便利である。

岐阜城(稲葉山城):一般的には戦国時代、蝮の道三こと、斉藤道三が築城したと思われがちであるが、最初の築城は鎌倉時代の建仁年間(1201〜1204)、初代城主は二階堂行政で稲葉山城と命名したと伝えられている。その後、室町時代の応永年間に土岐氏・執権の斉藤利永が修築し、更に戦国時代の天文18年(1549)に斉藤道三が大修築して非常に堅固な城砦となり、孫の竜興と戦った信長は10年以上もかかって落城せしめ、1567年にやっと入城して岐阜城と改めここから天下布武の号を発した。
金華山(稲葉山):濃尾平野の北部、長良川のほとりに単体で鎮座するわずか標高329mの小さな山であるが、ケーブルカーで登ってみると非常に急峻で難攻不落であったことが実感できる。岐阜城はこの頂上にあるが、そこから見る長良川沿線の風景も見事である。金華山は宮城県の牡鹿半島先にもあり、混同されやすいがこちらは島そのものの名前である。

          板垣退助象
講演のために訪れたこの地で遭難に会い「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残した。信長舘跡の先に建つ。

        長良川の眺め
金華山ロープウェイ頂上近くのレストラン裏からの眺め。鵜飼シーズン夜間の眺めは格別とか。

        金華山のロープウェイ
岐阜公園内、一豊・千代モニュメントの近くに乗り場があり、3分で頂上に到着する。往復1050円。

     山内一豊・千代婚礼の地
金華山の麓に広がる岐阜公園のロープウェイ乗り場近くに「モニュメント」が建つ。千代は郡上八幡の生まれとも言われる。