信長の館跡地
稲葉山城を攻略した後、岐阜城と命名しその麓に構えた信長の館跡。意外に狭く見える。
岐阜城
昭和31年に再建された三層四階の城。天守閣の金箔の鯱が眩しく見える。
本丸への石段
右の広場が二丸跡で、左の急峻な石段を登れば右の写真の本丸が前面に現れる。
岐阜城と金華山
岐阜県 撮影:H19.5.14
秀吉の馬印発祥の地
稲葉山城攻略の功で羽柴筑守秀吉と名乗ることになった秀吉の「千成瓢箪」の馬印発祥の地と伝えられる。
岐阜城(稲葉山城):一般的には戦国時代、蝮の道三こと、斉藤道三が築城したと思われがちであるが、最初の築城は鎌倉時代の建仁年間(1201〜1204)、初代城主は二階堂行政で稲葉山城と命名したと伝えられている。その後、室町時代の応永年間に土岐氏・執権の斉藤利永が修築し、更に戦国時代の天文18年(1549)に斉藤道三が大修築して非常に堅固な城砦となり、孫の竜興と戦った信長は10年以上もかかって落城せしめ、1567年にやっと入城して岐阜城と改めここから天下布武の号を発した。
金華山(稲葉山):濃尾平野の北部、長良川のほとりに単体で鎮座するわずか標高329mの小さな山であるが、ケーブルカーで登ってみると非常に急峻で難攻不落であったことが実感できる。岐阜城はこの頂上にあるが、そこから見る長良川沿線の風景も見事である。金華山は宮城県の牡鹿半島先にもあり、混同されやすいがこちらは島そのものの名前である。
板垣退助象
講演のために訪れたこの地で遭難に会い「板垣死すとも自由は死せず」の名言を残した。信長舘跡の先に建つ。
長良川の眺め
金華山ロープウェイ頂上近くのレストラン裏からの眺め。鵜飼シーズン夜間の眺めは格別とか。
金華山のロープウェイ
岐阜公園内、一豊・千代モニュメントの近くに乗り場があり、3分で頂上に到着する。往復1050円。
山内一豊・千代婚礼の地
金華山の麓に広がる岐阜公園のロープウェイ乗り場近くに「モニュメント」が建つ。千代は郡上八幡の生まれとも言われる。