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能福寺
月輪影殿
能福寺入り口正面にあり、H7年阪神大震災で大破したが、同9年に信徒の総力で復旧された。
能福寺入り口
通常は閉じられているので、左方の大仏拝観入り口から廻って入るようになっている。
琵琶塚
清盛塚の直ぐ隣にあり、平家物語にある琵琶の名人、平経正にちなんで名付けられた。
清盛塚
能福寺の約400m南、住吉神社の角にあり、その先の兵庫運河に掛かる橋が清盛橋と名付けられている。
平清盛
平家の総帥。1168年兵庫の能福寺で剃髪、入道。1180年兵庫・福原に遷都、翌年1181年、京西八条で薨去。遺言により全遺骨を福原・能福寺の東北に埋葬されたと言われていて、その境内に清盛の墓所があり、1286年に北条定時が十三重の塔を建立した。
その他400mほど南の住吉神社の一角にも清盛塚があり、神戸港を初めて開いた清盛に対する神戸市民の敬慕が生きている。
能福寺(天台宗)
804年、桓武天皇の勅命で唐に留学した最澄はその帰途、兵庫和田岬に上陸して堂を建立したのが始りとされる。清盛が福原遷都の時、七堂伽藍を完備して「福原寺」と称し、壮大な外観から「八棟寺」とも呼ばれた。境内にある「月輪影殿」は歴代天皇の墓陵「月輪御陵」にあった九条公爵家の拝殿を賜ったもの。
真光寺
時宗の開祖・一遍上人が遊行中に亡くなった場所として有名。その後、一遍上人が亡くなった観音堂がある西半分が時宗・真光寺、清盛の遺骨が納められたとする東半分が天台宗・能福寺に分割された。
兵庫大仏
神戸市兵庫区、能福寺境内に大仏があることは、神戸市民にもあまり知られていない。明治初年、地元の豪商・南条荘兵衛の発願で建立されたが、第二次世界大戦の敗色濃い昭和19年5月に、金属回収令で撤収された。平成3年5月、市民の強い要望と有力企業多数の協賛を得て再建され、奈良・東大寺、鎌倉・高徳院から日本三大仏の一つとして公認された。
日本三大仏
東大寺・大仏 | 鎌倉・大仏 | 兵庫大仏 | |
仏身高 | 14.98m | 11.3m | 11.0m |
総 高 | 18.0m | 13.35m | 18.0m |
平清盛の遺骨:清盛の遺骨は当初は確かに八棟寺にあったが、源氏に敗れて西国落ちする時に平氏が持ち去り、安徳天皇と共に、壇ノ浦に入水したと考えられる。
真光寺の如来塔
墓石をピラミッド状に積み上げた墓所を言うようで、高松藩菩提寺に無縁仏4千基の如来塔があるらしい。
兵庫大仏と平清盛
兵庫大仏正面
能福寺正面入り口の左方に大仏用の入り口があり、常時開放されている。
神戸市兵庫区北逆瀬川町 1−39 撮影:H21.10.15
清盛の墓処
大仏の手前左にあり、立て札には「わが国唯一。将軍平清盛公墓処」とある。