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         玄武洞の表口
JR山陰本線)玄武洞駅とは丸山川を挟んで東側にあり、海に近く広い川には渡し船もある。

          家老屋敷
仙石騒動の中心人物・仙石左京の屋敷址と云われ、
隠し2階がある。

出石と玄武洞

兵庫県豊岡市出石町   撮影:H24.7.2  
豊岡市赤竹栗(玄武洞)  撮影:H26.6.3

          おりゅう灯篭
江戸時代に交通運輸に利用された旧出石川の船着き場の名残り

            出石城入口
現在大手門から見える城郭は、昭和43年に本丸跡に復元された隅楼。
出石町は播但自動車道・国道9号線から八鹿町経由、312号線、482号線を通って出石町へ向かう。出石城横に西の丸駐車場(有料)がある。
玄武洞へは豊岡市内で312号線から3号線へ左折してから丸山川を豊岡大橋で渡り直ぐ左折すれば4kmほどで到着する。

出石町
古事記、日本書紀にも登場する但馬の古い街で、室町時代、山名時氏が但馬を制圧し、その子時義が本城を築き以後、但馬の中心として栄えた。応仁の乱を引き起こした宗全はその孫である。
出石藩
関ヶ原合戦の後、東軍で活躍した小出秀家は5万石の城主となったが、9代藩主秀及が1696年、3歳で死去し無嗣断絶となり、松平家が後を継いだが、1706年信濃上田藩の仙石氏と入れ替わり、以後明治まで仙石藩として続いた。出石そばは仙石氏が、信濃から移したもの。

3大お家騒動
江戸時代、大きなお家騒動が四つあり、伊達騒動、加賀騒動、仙石騒動(出石藩)、黒田騒動(福岡藩)の内の三つを云う。仙石騒動の中心人物の家老屋敷が今も保存されている。

          玄武洞前の丸山川
日本海に近い玄武洞前を流れる丸山川は湖のようで、
玄武洞駅からの観光客を渡し船で運んでいる。

        柱状節理の岸壁
天掘りで出来た窪地が池になって、その上方の岸壁が見事な観光場所。

          玄武岩の洞窟
玄武岩を掘りだして出来た人工の洞窟。周囲は割れ目がはっきりした柱状節理の岩石で埋まっている。

     山出のシンボル・辰鼓楼
明治4年に大手門に建設された鼓楼に明治14年に医師が大時計を寄進して時計台になった。

玄武洞
約1600万年前の噴火で地上に噴出されたマグマが冷却され、溶岩の厚い層が形成されたが、冷却の際に体積が縮小して出来た割れ目(摂理)が顕著で切り出しやすかったこともあり、近くの人々が採掘し、その採掘跡が洞窟として残ったもので、天然洞窟ではなく人工的な坑道の跡地である。名前の由来は、江戸後期の文化4年(1807)ここを訪れた幕府の儒学者・柴野栗山が
伝説上の動物・玄武に見える事から名付けた。
近くにはコウノトリ公園がある。
玄武岩
ここの柱状節理の岩石は明治17年(1884)、東大の地質学者・小藤文次郎が命名した。後1929年、松山基範はここの玄武岩磁気が現在の地磁気と逆向きであることを発見し、かって地球の磁場が反転したとの説を発表して世界的に認められている

        そば処の街並
白い出石焼の皿に盛られた出石そばは、挽きたて、
打ちたて、茹がきたての「三たて製法」で有名。