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橿原神宮

奈良県橿原市久米町934 撮影:H20.1.9

       一の鳥居
表参道の奥にあり、この後二の鳥居がある

       橿原神宮と大和三山
三角形の位置に三山があり、三角形の中が橿原市街地になっている。

       表参道
駐車場から鳥居までの参道

初代天皇・神武天皇を祀るための神宮として、京都御所から本殿と拝殿(現神楽殿)が献進された。昭和15年に紀元2600年を記念して新たに内拝殿、外拝殿が造営された。

           耳成山
三山で最も低い形の良い山であるが、周囲はほぼ市街化されていて、昔の情景はない。

大和三山
香具山(152.4m)
多武峰山系から延びた尾根が長い年月の間に侵食され、香具山の部分だけが残ったもの。風土記には天から降ってきたと言う伝説が残り、大和三山の中で最も神聖視された山だったので「天の香具山」と呼ばれるようになった。
万葉歌:持統天皇
「春過ぎて夏来るらし白たへの 衣干したり天の香具山」

畝傍山(199.2m)
神武天皇が麓に都を造った山と言われている。三山で最も高い山で死火山。
万葉歌:柿本人麻呂
「玉襷畝傍の山の橿原の 日知(ひじり)の御代ゆ生(あ)れましし」
耳成山(139.7m)
三山の中で最もバランスがとれた美しい死火山である。

万葉歌:詠み人知らず
「耳無しの山のくちなし得てしがな おもひの色の下染にせむ」
        外拝殿の回廊門
外拝殿の右に連なる回廊の端にある門で幣殿、本殿に到達する。
           内拝殿
紀元2600年の昭和15年に造営され、紀元祭など重要な祭典に使用される。(右後ろが畝傍山)

神武天皇
45歳で日向国を進発され、6年後に橿原の畝傍山の麓に都を定めて即位され、以後67年間の在位で日本建国と政治の基礎を定められ、127歳(日本書紀)の長寿をまっとうされたと言う。

橿原神宮創建

神武天皇の橿原宮跡に神宮創建の請願が民間有志から起こり、これに賛同された明治天皇のご配慮で、京都御所建物の一部を移築して明治23年4月に創建された。

藤原京:香具山、畝傍山、耳成山の三山に囲まれた平野にあり、持統天皇、文武天皇、元明天皇三代(694〜710年)の都であった。

近畿自動車道または阪神高速の松原ICで阪奈道に入り、美原北ICの先で南阪奈道に入り直進する。葛城ICを出て24号線を約10q直進し、四条町交差点で右折すればよい。
神宮入り口に大きな駐車場がある。

        深田池
約12,000坪の広さで白鳥が繁生し、葛城、金剛連峰が遠望され、参拝客憩いの場所。

           南神門
素木建て八脚門でここを潜ると神域になる。

        外拝殿
昭和14年に完成した入母屋造りで、両脇に長い回廊が連なる。
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   橿原神宮