庭園内の桜島ヴューポイント。

明治期、29代藩主忠義が本邸にとして使用した御殿。

斉彬公が創ったガラス工場で製作されている薩摩切子
           霧島神宮の神木
樹齢800年、高さ35mの杉で九州の杉の祖と云われる。

             霧島神宮本殿
西の日光と云われる朱塗りと彫刻の華やかな建造物。

            霧島神宮のさざれ石
 小石が長い年月で溶解した石灰岩で集結したもの。

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仙巌園(磯庭園)
島津家19代藩主久光が1658年に創った別邸で、桜島を築山、錦江湾を池に見立てた他に例を見ないスケールの大きい借景庭園で、中国や琉球の影響も見られ、独自に海外と交流した海洋国家の面影が残されている。
尚古集成館
28代藩主斉彬公の先見性と偉業を示す日本初(東洋初)の工場群で、製鉄、造船、大砲、紡績、薩摩切子などの事業を行ったもので、これらはすべてこの庭園内に残されていて、離れた場所に水力発電用ダム址もある。

霧島神宮
天照大神の孫にあたるニニギノミコトが祭神。6世紀、欽明天皇の時代に高千穂峰の西側に建立されたが、火山の近くだったので度々炎上し、高千穂河原に移されたがここでも炎上するので、1484年に島津忠昌が現在の地に再建した。
西の日光
社殿はいづれも朱塗りの豪華なもので、特に本殿は内部も豪華に装飾されているが、神社建築では、外部だけでなく内部までこのように装飾を凝らしたものは非常に珍しく、「西の日光」の別名を持つ。
坂本竜馬の新婚旅行
霧島神宮から約20km西南の塩浸温泉が竜馬とお龍が逗留した場所で、新婚旅行発祥の地とされる。

鹿児島から一泊二日のドライブ
中央上方にある鹿児島空港から霧島連山のふもとにある「霧島神宮」、鹿児島湾東岸の220号線を下り、桜島へ渡る。
有村溶岩展望所で噴煙の様子を観察して、フェリーで西対岸の鹿児島市へ渡り、そこから南下して砂風呂の指宿へ(拍)。
翌日さらに南下して、薩摩半島南端の長崎浜で開聞岳を眺望し、北上して知覧の特攻記念館へ。
鹿児島市では薩摩藩・鶴丸城址の石垣に残る西南戦争の凄まじい弾痕を車窓から見て、薩摩藩の庭園であった仙巌園(磯庭園)で桜島を眺めながら散策した後、鹿児島空港へ。

   斉彬公が創った150ポンド大砲のレプリカ

   霧島神宮と磯庭園

        仙巌園の展示物
明治になって29代藩主忠義公が造った水力発電用ダム

   鹿児島県 撮影:H25.11月12.13日

          仙巌園の庭園
            曲水の庭

「霧島神宮」は天孫降臨で地上に降り立ったニニギノミコトを祭神とする神々の故郷。
「磯庭園」は薩摩藩の庭園・仙巌園の別名で桜島と錦江湾を借景とする贅沢な庭園。