甲賀忍者屋敷
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この忍者屋敷は約300年前の元禄時代に、甲賀忍者筆頭の望月出雲守の屋敷として建てられた最も古いもので、外敵が侵入した時の防御手段として各種のからくりが施されている。忍者はもともと諜報活動が主で、いろいろな武具は自衛手段として考案された。他国へ行くときは虚無僧、僧侶、山伏、薬売りなどに変装して正体を隠し、文字は7つの旁と7つの偏で構成した「忍びいろは」を用いた。
甲賀忍者がその存在を大きく認められたのは、足利義尚が佐々木六角を攻めた「鈎の陣」(1487年)である。その後本能寺の変で徳川家康は甲賀忍者の多羅屋敷に一泊した後、伊賀忍者に守られて三河へ逃れることができた。
そのため忍者の重要性を最も認識して活用したのが家康で、後に徳川幕府は伊賀と甲賀の忍者を江戸に常住させた。
伊賀忍者には、服部半蔵のように名前が売れたスターがいるが、甲賀は自治体集団で名前と顔が売れていては忍者としては失格と言うことで、甲賀忍者の名前はほとんど残されていない。
滋賀県甲賀郡甲南町竜法師2331 撮影:平成19年2月4日
押入れに隠れた?「くのいち」
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甲賀忍者屋敷
甲賀忍者屋敷・望月邸
忍者の貸衣装を着る観光客(500円)
押入れの中の隠し梯子
3階の隠し部屋に上る縄梯子
各種の手裏剣。裏庭に手裏道場がある
上った後、梯子を引き上げるので、どこに逃げたか分からないようになっている。また2階は刀を振り回せないように天井が低くしてある。
人が覗いているふすまの床には深さ6mの落とし穴が掘ってあり、落ちたら自力では這い上がれない。底には横穴が繋がり、他の屋敷への逃げ道にもなっている。
手裏剣には殺傷力はそれほどなく、主に逃走用に使われた。.
裏庭の手裏剣道場で手裏剣投げも体験できる(500円)。