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光明寺

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           境内図
@:御影堂 A:総門 B:法然上人の石棺
C:女人坂 D紅葉参道
        境内の紅葉
本堂の「御影堂」下紅葉林で、紅葉見物がてら散策する人が多く見られる。

京都府長岡京市栗生西条ノ内26−1 撮影:H19.12.4

名神自動車道)大山崎ICを出て171号線を北上し、途中で左折して行けばよい。
駐車場は総門左脇にある。電車の場合は、阪急)西向日駅から西へ徒歩約30分。

 法然上人の石棺 

参道の紅葉がきれいなことで有名であるが、お寺そのものは平家物語で有名な熊谷次郎直実が出家して法然上人の弟子・蓮生となって創建したものである。

御影堂の右手前に石の柵に囲まれて安置してある。柵の前には法然の大師号「円光大師御石棺」の石碑が建てられている。

光明寺
法然上人が念仏の産声を上げられたと言われるこの地に、健久9年(1198)蓮生(熊谷直実)が建立。法然上人を勧請して開山第一世と仰ぎ、自らは第二世となった。

熊谷次郎直実

源氏の武将であった直実は源平・一の谷の合戦で平氏の武将・平敦盛を討ち取ったが、自分の息子と同じ16歳の若さに驚き、かつ世を儚んで出家したことはあまりにも有名。文治元年(1185)法然上人に帰依して蓮生と名付けられた。

人間50年、下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
信長が好んで舞った「敦盛」は、熊谷次郎が出家する際に語った言葉であることは、案外知られていない。

           紅葉参道の紅葉絨毯

        紅葉参道の登り

        紅葉参道の下り

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法然上人
浄土宗の開祖。1133年岡山県美作の生まれ。9歳で出家、19歳で比叡に入山。43歳で浄土宗を開いて下山、東山吉永に住み念仏の教えを広めた。75歳で四国に流罪。80歳で帰京し大谷の禅房(現知恩院)で死去。

光明寺の「法然上人の石棺」
法然上人の死後、名声が高まるにつれて、叡山僧の妬みが増して法然上人の墳墓を暴こうとする動きが発覚し、弟子達が遺骸を嵐山の二尊院、太秦の西光院を経て、最終的にこの光明寺に移して荼毘にふし、元の石棺も移して安置した。

女人坂と紅葉参道
総門から緩やかに階段が続くのが女人坂、左手に迂回するのが絨毯を敷き詰めたような紅葉参道

        御影堂(本堂)
応仁の乱を始め何度も火災に遭い、現在の建物は宝暦4年(1754)に完成したもの。33m四方の入母屋式、総欅造りである。

法然上人の立像

       光明寺の総門と女人坂
天保16年(1845)に建てられた。総門を潜ると「女人坂」、左に行くと「紅葉参道」に分かれる。

上人生誕850年を記念して、昭和57年に建てられた。台座の高さ:2.4m、像の高さも2.4m

   光明寺(西山浄土宗総本山)