TOPへ

リンク
御上神社

           遠景の三上山
琵琶湖岸から撮影した近江富士。近畿地方から日帰り登山を楽しむ人も多いらしい。

            神社玄関
8号線を入った近くにあり、奥に楼門が見える。本殿まで全く坂道がなく楽にお参りが出来る。

御上神社:
御祭神:
 天照大神の孫・天之御影大神(天目一個神)。 本来は刀鍛冶の祖神で、鍛冶には水と火が欠かせないことから水火の神とされる。
略歴: 第7代天皇・孝霊天皇が三上山山頂に天之御影命を祀ったのが最初とされその後、養老天皇が718年に現在地に榧の木の神殿を造営した。境内の主要社殿は鎌倉時代後期に整備された。
主要社殿: 国宝の本殿、拝殿、楼門、三ノ宮神社、若宮神社など貴重な建造物が現在まで残されていて、特に本殿は神社、仏閣、殿舎の三様式が合体した御上造と呼ばれる大変珍しい建造物である。
楼門には弓矢を携えた二つの武人像があり、百足伝説の俵藤太と思われる。
御上神社と三上山関連の神々
天照大神→天津彦根神→天之御影神→彦伊賀都命(三上祝の祖:大和朝廷で祭祀担当の祝部・ハフリベ)

三上山(432m、近江富士): 
名神自動道を名古屋方面に向かい草津を過ぎたあたりから、富士山の形をした小さな山が右手に見えるようになる。御上神社の神体山。
俵藤太秀郷(本名:藤原秀郷)の百足退治
朱雀天皇(930〜946年)の時代、田原藤太が瀬田の唐橋を渡ろうとすると、大蛇が横たわっていたが、臆することなく踏みつけて通り過ぎた。その夜、少男(又は美女)に化けた大蛇が、三上山を七巻半巻いている大百足に悩まされているので退治して欲しいと頼まれ、橋から矢を放って見事に退治した。大蛇は大層喜び御礼に減ることのない米俵を贈ったので、姓を俵に改めた。田原姓は幼時に京都近郊の田原村に住んで居たかららしい。
藤原秀郷もともとは関東・下総の武人で、平将門の乱の時、将門を撃ち滅ぼして乱を平定した功績で従4位・下野守に任じられた剛勇の武人。

名神高速)栗東ICから8号線に出て名古屋方面に向かい野洲川を渡って交差点を過ぎれば直ぐ左に御上神社があり、三上山は右側に見える。神社入り口の左手、8号線に面して無料駐車場がある。

        近くから見た三上山
御上神社と8号線を隔てた直ぐ近くに聳え、神体山と言われるのも頷ける。

       楼門右の武人像
こちらは矢を持った俵藤太秀郷の像らしい。

          楼門左の武人像
特に説明はないが、弓を持った俵藤太秀郷の像と思われる。

              楼門
鎌倉時代後期の重厚な楼門である。左右に俵藤太を模した武人像が安置されている。

BACK

   御上神社 三上山

滋賀県野州市三上838 撮影:H21.1.14

            三ノ宮神社
瓊瓊杵尊を祀る神社で、左に見える小さな祠は天照大神を祀る大神宮社。孫の社の方が大きい。
           若宮神社
伊弉諾尊、菅原道真を祀る神社で、その他に天石戸別命、天御鉾命、野槌乃命も祀る。
           国宝・本殿
神社・仏閣・殿舎の三様式が合体した御上造の建物で、左側に若宮神社、右側に三ノ宮神社がある

御上神社は天照大神の孫・天之御影大神を祀っていて最初は三上神社と称していた。
三上山(別名:近江富士)は、百足退治の伝説で有名であり、琵琶湖岸から目立つ山である。