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         茶の千家の墓所
中央の一段と高い石碑が利休の石碑である。

          南宗寺入口
「南宗禅寺」とあるが京都の南禅寺とは関係は無い。

仁徳天皇稜と南宗寺

大阪府堺市堺区大仙町と南旅篭町 撮影:H26.7.3  

            南入口
南側にある前方形の入口で、これ以上入れない。

            仁徳天皇稜
         空中から撮影した航空写真。
阪神高速4号線(海岸線)で降りると東へ3kmで仁徳稜、南宗寺へは南東へ2km。仁徳稜の南前の大仙公園入り口に駐車場(有料)がある。

仁徳天皇
古事記、日本書紀では共に15代天皇とあり、古事記では83歳で逝去、日本書紀には没年は書いてないが、在位87年とあり、長寿であった事は確からしい。即位後、都を難波の高津宮に移し、民家から炊事の煙が立ちのぼらないのを見て、民が困っているのを察して課役を3年間免除するなどの善政をした天皇として親しまれた。
仁徳天皇陵古墳
大仙古墳、百舌鳥耳原中稜とも呼ばれ、墳丘の長さは486m もあり、エジプトのクフ王のピラミッドや中国秦の始皇帝の墓よりも大きく、世界三大墳墓の一つと云われている。前方後円墳は三重の掘に囲まれ、15個の陪塚を持つ。
百舌鳥古墳群
このあたりの古は百舌鳥野と云われていたので、履中天皇、仁徳天皇、反正天皇などの古墳群の総称。

              仏殿
当寺最高権威の建築物で純粋な禅宗様式である。

          仏殿内部
中央に釈迦如来、天井には狩野信政筆の「八方睨みの龍」が描かれている。

          徳川家康の墓
三つ葉葵の暖簾で囲まれた墓碑には、建立者として松下幸之助の名前が記されている。

     仁徳天皇稜の外堀
    三重の堀の一番外側の掘。

南宗寺
戦国武将の三好長慶が1557年に建立した臨済宗の禅寺で、三好家一門の墓は勿論、千利休を中心とした千家一門の供養塔や利休好みの茶室・実相庵もある。

徳川家康の墓
「大阪夏の陣で家康は茶臼山の激戦に敗れ、駕籠で逃げる途中、後藤又兵衛の槍に突かれ、からくも堺まで落ち延びたが、中を開けると既に事切れていたので、遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に会葬した」との記事が2012年8月29日の日本経済新聞夕刊に掲載された。
南宗寺最古の建物・坐雲亭の内部には、徳川秀忠、家光が相次いでお成りを記した扁額が掛っている。また唐門の屋根瓦の紋どころは三つ葉葵である。

境内には家康の墓が建てられているが、墓碑には建立者の一人に「松下幸之助」の名前がある。

            坐雲亭
重層様式の寺院最古の建物。中に徳川秀忠、家光の訪れを記した扁額あるらしい。

        家康の墓の拡大写真
  中央に「徳川家康墓」の文字が刻まれている。

堺市役所パンフレットからコピー。