東海道五十三次・関宿
鶴屋
庵看板
中町の町並み
地図
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チャンバラで山賊がよく出てくる鈴鹿峠手前の第四十七番目の「伊勢鈴鹿の関」が置かれていた宿場町で、旧東海道で唯一歴史的な町並みが保存されている貴重な所であり、昭和五十九年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
関町には江戸時代から明治時代に建てられた町屋が200軒あまりもあり、最古の建物は徳川吉宗の晩年頃と言われている。町ではこれら歴史的な建造物の保存・修復に全力を挙げて取り組んでいて、郵便局・銀行も町並みに溶け込んだ古来の建物になっている。道幅は狭くて大名行列が来ると確かに軒下に這い蹲ばざるを得ない感じである。
地蔵院の先にトイレ付の無料駐車場があり、観光客にも配慮されているのが嬉しい。
三重県亀山市関町   H18年1月27日撮影
伊藤本陣跡
眺関亭(百六里庭)
玉屋
地蔵院前の町並み
橋爪家
二階に瓦屋根付の立派な看板があり、京都側は漢字、江戸側はひらかなで書かれ、旅人が方向を間違えないように配慮していたらしい。
千鳥破風が格式を示すように、江戸末期には脇本陣を勤め、玉屋、会津屋とともに関の代表旅籠であった。
大名、公家、幕臣などが利用した格式の高い旅籠で、川北本陣とこの伊藤本陣の二つがあった。
旅籠の会津屋、洋風意匠窓がついた洋館屋、鍛冶屋などが並ぶ町屋
郵便局、玉屋と並んで建つ橋爪家は江戸時代初期から両替商を営み、江戸にも出店を持つ豪商であった。
江戸から百六里あることから「百六里庭」と言われた小公園が裏にある。
地蔵院
関郵便局(高札場)
百五銀行
東追分
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、または会津屋か」と謡われたほどの関を代表する旅籠。広重の浮世絵を展示。
741年行基菩薩の開基。「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろう」の俗謡がある。
江戸時代には高札場があった場所で、関宿のほぼ中心にあり景観を損なわない建物にしてある。
郵便局とともに宿場町に溶け込んだ古風な建物で開業している。
関宿の東の入り口。東海道と伊勢別街道との分岐点。
大鳥居は伊勢神宮を遥拝するためのもので、20年毎の伊勢遷宮の際、内宮宇治橋南詰の鳥居が移される。
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関宿

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