高輪・泉岳寺義士一覧表付
地図
BACK
泉岳寺入り口の中門
赤穂義士の墓所としてあまりにも有名な泉岳寺。曹洞宗江戸三ケ寺の一つ。最初は家康の命で1612年に外桜田に創建されたが、寛永の大火で焼失。その後、家光の命で寛永18年(1641)現在の地に移築された。建設に当たったのが毛利、浅野、朽木、丹羽、水谷の5大名でこの時以来、浅野家の江戸墓所になった。

なお、赤穂義士の討ち入りは元禄15年(1702)で、その時の吉良邸は現在の両国駅前の回向院の隣りにあり、義士達はそこから隅田川を南下して永代橋→霊岸島→稲荷橋→築地鉄砲須(浅野家旧屋敷)→潮留橋→新橋→浜松町→田町を経て泉岳寺まで2時間歩いて凱旋したわけで、その体力には恐れ入るほかない。また萱野三平が後から追加されたので義士の墓は48基ある。
リンク
泉岳寺
東京都港区高輪  撮影:平成18年6月23日
円月島
赤穂47義士名鑑
名 前 討入時の年齢 浅野家役職 浅野家の石高
大石 内蔵助  良雄 44 筆頭家老 1500石
吉田 忠左衛門  兼亮 62 加東郡代 200石+役料50石
原 惣右衛門  元長 55 足軽頭 300石
片岡 源五右衛門  高房 36 用人 350石
間瀬 九太夫  正明 62 目付 200石+役料10石
小野寺 十内  秀和 60 京都留守居役 150石+役料70石
大石 主税  良金 15 なし なし
磯貝 十郎左衛門  正久 24    用人 150石
堀部 弥兵衛  金丸 76 隠居 50石
10 近松 勘六  行重 33 馬廻 250石
11 富森 助右衛門  正因 33 馬廻・使番 200石
12 瀬田 又之丞  高教 34    馬廻・絵図奉行 200石
13 堀部 安兵衛  武庸 33     馬廻・江戸留守居役 200石
14 赤埴 源蔵  重賢 34 馬廻 200石
15 奥田 孫太夫  重盛 56 馬廻・江戸武具奉行 150石
16 矢田 五郎右衛門  助武 28    馬廻 150石
17 大石 瀬左衛門  信清 26 馬廻 150石
18 早水 藤左衛門  滿田堯 39 馬廻 150石
19 間 喜兵衛  光延 68 馬廻・勝手方吟味役 100石
20 中村 勘助  正辰 44 馬廻・祐筆
100石
21 菅谷 半之亟  正利 43 馬廻・代官
100石
22 不破 数衛門  正種 33 浪人(元浜辺普請奉行) 元100石
23 千馬 三郎兵衛  光忠 50 馬廻 30石
24 木村 岡右衛門  貞行 45 馬廻 150石
25 岡野 金右衛門  包秀 23 部屋住み 亡父150石
26 吉田 沢右衛門  兼定 28 中小姓近習・蔵奉行 10両3人扶持
27 貝賀 弥左衛門  友信 53 中小姓近習・蔵奉行 10両・役料10石3人扶持
28 大高 源吾  忠夫 31 中小姓近習・膳番 20石5人扶持
29 岡崎 八十右衛門  常樹 37 中小姓近習・札座勘定方 20石5人扶持
30 竹林 忠七  隆重 31 中小姓近習 10両3人扶持
31 倉橋 伝助  武幸 33 中小姓近習 20石5人扶持
32 村松 喜兵衛  秀直 61 中小姓近習 20石5人扶持
33 杉野 十平次  次房 27 中小姓近習 8両3人扶持
34 勝田 新左衛門  武堯 23 中小姓近習・札座横目 15石3人扶持
35 前原 伊助  宗房 39 中小姓近習・金奉行 10石3人扶持
38 間瀬 孫九郎  正辰 22 部屋住み なし
37 小野寺 幸右衛門  秀富 27 部屋住み なし
38 間 重次郎  光興 25 部屋住み なし
39 奥田 貞右衛門  行高 25 部屋住み なし
40 矢藤 右衛門七  教兼 17 部屋住み なし
41 村松 三太夫  高直 26 部屋住み なし
42 神崎 与五郎  則休 37 横目 5両3人扶持
43 茅野 和助  常成 36 横目 5両3人扶持・役料5石
44 横川 勘平  宗利 36 徒歩 6両3人扶持
45 間 新六  光風 23 浪人 なし
46 三村 次郎左衛門  包常 36 台所用人 7石2人扶持
47 寺坂 吉右衛門  信行 38 足軽 3両2歩2人扶持
泉岳寺境内入り口山門
浅野家墓所入り口
浅野内匠頭長矩公の墓
浅野公夫人・瑶泉院の墓
中門との間に土産店が並び、この奥が境内になる。
小説などで名高い「南部坂雪の別れ」は事実ではない。
大石蔵之助良雄の墓
蔵之助の長男・主税の墓
中村勘助と堀部安兵衛(右)の墓
途中右手に吉良上野介の首洗いの井戸がある。
本尊は釈迦如来で、他に秘仏として大石蔵之助の守り本尊であった「摩利支天」がある。
泉岳寺本堂
クリック