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屋島合戦
屋島合戦図
義経は大阪・摂津から勝浦@に渡海、壇ノ浦の奥にあった平家総門Bを急襲、平家本陣は海上Dに逃れた。
源平合戦で名高い屋島・壇ノ浦古戦場は屋島とその東に突き出た五剣山半島の間の壇ノ浦が主戦場であった。屋島寺は屋島の山上にあり、現在の寺は空海創建の第84番・四国霊場で、屋島観光の目玉はむしろこちらになっている。
屋島遠景
11号線から撮影した屋根の形をした屋島。
壇ノ浦
屋島山上から見た現在の壇ノ浦。正面は五剣山。
屋島:地図では陸続きの半島になっていて島と言うのはおかしいが、源平時代は狭い浅瀬で隔てられた島であった。現在でも半島の付け根を狭い相引川が横断しているので、厳密には島と言ってもおかしくない。
屋島・壇ノ浦合戦:寿永4年(1185)2月18日、義経はわずか150騎の軍勢で嵐の中を阿波の勝浦へ渡り屋島の平家軍を背後から急襲した。慌てふためいて海上へ逃げた平家は、源氏の兵力が意外にすくないのに気づいて「やー、しまった」と叫んだので、屋島の名前がついたとか。
有名な那須与一の的射や義経の弓流しは、屋島と五剣山半島の間の壇ノ浦の合戦のエピソードである。
壇ノ浦は一般に平家が滅亡した下関海峡を指すが、ここ屋島でも壇ノ浦合戦と言うのでややこしい。
屋島の太三郎狸
四国狸の総大将、化け名人で人望もあった。佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸が日本三名狸の由。
大師堂
弘法大師を祀る大師堂。横に観音像を祀る千躰堂と阿弥陀・釈迦如来、鑑真和尚を祀る三躰堂がある。
本堂と鐘楼
中央奥が本堂。左手前の鐘楼が「平家供養の鐘」と呼ばれている。
屋島古戦場と屋島寺