湯島聖堂
中心の建造物・大成殿
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元は「昌平坂学問所」
徳川五代将軍・綱吉が元禄3年(1690)儒学の振興を図るため、ここに聖堂を創建して上野忍岡の林家の廟殿を移したのが始まりで、寛政9年(1797)に世に名高い幕府直轄学校「昌平坂学問所」が開設された。
明治維新では大学校と改称されたが明治4年にこれを廃して文部省が置かれ、ついで現東京国立博物館、東京師範学校、日本初の図書館・書籍館、東京女子師範学校と移り変わったが、いづれも手狭になって別の場所に移転して発展している。
大正11年に国の史跡に指定された翌年、関東大震災で焼失し昭和10年に鉄筋コンクリート造りで再建された。
大成殿屋根の彫刻
孔子像
東入り口・正門
東京都文京区湯島1丁目 撮影:平成18年6月23日
西側入り口から鬱蒼とした林間を潜り抜けて石段の下から垣間見る大成殿。
関東大震災で焼失した大成殿は昭和10年に鉄筋コンクリート造りで当初の形態に再建された。
手前に5・6台の駐車スペース、右手に事務所がある。
石段を登り、山門を通して見る大成殿。
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湯島聖堂
左から「鬼ギン頭(きぎんとう)」、「鬼龍子(きりゅうし)」、「嘲風(ちょうふう)」で防火と見張り役。