●2003年5月 ニューヨーク滞在記
第三日目 雨のマンハッタン
起きて窓を開けると雨が降っていたが、天気に反して僕の気持ちは軽かった。最大の任務を終え、これからはお気楽なNY観光ができると思うとなんかワクワクしてきたのだ。勇んでNYで二回目の朝食に出掛ける。雨はそんなに激しくないので、ニューヨーカーを気取って傘を差さずに街を歩いてみる(ていうか持って来なかった)。しかしみるみる雨足は激しくなりシャレにならなくなってきた。が、周りのニューヨーカー達は見事なまでにほとんど全員が傘を差していない。ニューヨーカーが傘を差したがらないのは何故なんだろうか?誰かその精神性を研究したひとがいたら意見を聞いてみたいものだ。ナチュラリスト気取りか?と訝るもこんな奴らに合わせてられんと、Port Authority Bus Terminal近くの大型ドラッグ・ストアで一番安い傘を買う。
見知らぬ土地で困るのはトイレと食事だという。とくに朝食はそうそう店を物色する時間もないので、ハズレを引かないようにするのが一番難しい。まだホテルの周辺もろくに歩いていないので美味しそうな店のあてもない。とりあえずタイムズ・スクエア方向に歩いてみたが、なかなか手軽で良さそうな店がない。このへんは観光客のメッカだけに世界中の何処にでもありそうなチェーン店が軒を並べているが、わざわざそんな店に入るのもつまらない。ときどきダイナー風の店もあるが、昨日の悪印象もあるのでいまいち気が進まない(それにもう一回食べたくなるようなメニューでもないし)。朝食を求めながらタイムズ・スクエア周辺数ブロックを彷徨う内にお腹が悲痛な声をあげ始め、脳に血液が回らなくなってきた。こうなると人間は終わりだ。思考能力が急激に衰え、理性も霞んでくる。いま目の前に出されたら堅焼きベーコンも特上うな重に見えてしまうだろう。そんな状態の僕の前に現れたのは全米ピザ・チェーンの『Sbarro』だった。 ここにだけは入りたくなかったけどしょうがない。ドアをくぐり閑散とした店内を見てすぐ店を出たくなったが 、思いとどまり大人しく湿ったベーグルと生暖かいスパムを食べた。この時間はピザは無く、ダイナーのような朝食メニューになっているのだ(しかもビュッフェ・スタイル)。しかしなによりムカツクのはこんな不味いのに、すっごい値がはるってことだ。ほんとにNYはメシが高い。こんなことなら『吉野家』に入ってればよかった。
今日は早くもホテルをチェック・アウトする日。今晩からNY在住の友人に厄介になる予定なのだが、実はその肝心の友人とまだ連絡が取れないでいた。友人の電話番号をメモした手帳を探したが見あたらないのだ。何処かに落としたのだろうか?これはかなりヤバイ。なにしろ友人と連絡がつかなければ今晩からの宿が危ういばかりか、折角NYにいるのに友人に会う術がなくなってしまう。友人宅の住所も手帳に書いてあるだけで覚えてはいない。このまま会えずに帰ったらなんとも間抜けな話だ。一人で部屋でパニクっていたら、昨日訪れたデザイナーのオフィスのデスクに手帳を置いたことを突然思い出した。これも相当間抜けだが、しょうがない。彼のオフィスに電話して、ピックアップしに再びタイム・ライフ社の門をくぐった。まさかこんなに早く再会できると思わなかったので結構気恥ずかしかったけど、彼は再び暖かく僕を部屋に迎えてくれた。果 たして手帳はそこにあった。彼は仕事中で長居はできそうもないが、また少し話ができた。彼はオミヤゲの『東海道五十六次』を気に入ってくれて昨日の晩ずっと眺めていたそうだ。そしてあれが昔の旅行ガイドだと察しがついたと言っていた。僕も浮世絵について詳しいわけではないが、江戸時代の日本における大衆ツーリズムの勃興について少し彼に説明した。そして彼は今制作中の作品を画面 で見せてくれ、説明してくれた。この作品は帰りのニュー・アーク空港の売店でタイム誌に掲載されているのを見ることができた。記念に彼と写 真を撮ってもらい(昨日は人がいなかったので撮ってもらうことができなかった)、彼に別 れを告げた。最後まで本当に親切な人だった。
早速友人に電話するために公衆電話を探した。テレフォンカードを買ったはいいが、あれ?電話機にカード挿入口がないぞ???カードの裏面 に印刷されている番号にかけ、カードのシリアル番号を入力するとカードの額面分の通 話ができる仕組みだとわかるまでにしばらく時間がかかった。 なるほどこれだと電話機を換えずにカード式に移行できるわけだ。日本式の方が便利なのに違いはないが、こちらの方がある意味合理的かもしれない。ようやく連絡がついた友人と夕方6時に待ち合わせをして、ホテルをチェック・アウトした。荷物は8時までフロントに預かって貰うことにした。フロントはチェック・インの客で賑わっていた。こんなホテルでもこんなに繁盛してるのが意外だ。
雨は大分小降りになっていたので、とりあえず今までゆっくり見られなかったミッドタウンをぶらぶら歩いてみた。最初NYの街並みを見たとき、結構古い街なので意外だった。20世紀初期に建てられたビルが多いせいだろう、“過去のモダン”とでも言うか“100年前の未来都市”みたいな感じで何処となくノスタルジックな臭いがする。東京みたいにキラキラしたビルも案外少ないし、もともと区画が整然としていて建築規制も厳しかったらしくビルの形も似通 っていて、街全体として均整が取れている。別に“隣の芝生”を羨む訳じゃないけど、同じ世界有数の大都市なのに東京には無い非常にしっとりした雰囲気がある。こういう過去から継続された貌を持つ都市を見る度に東京の街並みの醜さが嫌になる。ある意味これも敗戦国の悲哀だろうか、戦争でアメリカに破壊され過去から断絶された東京の素性が急に不憫に感じられる。しかし何にもましてNYの風景で圧巻なのはまるで“巨人の大回廊”とでも表現したくなるような、地平線まで真っ直ぐに続くビルの谷間だ。タイムズ・スクエア辺りから南を眺めるとその雄大さに感動させられる。人工の景色で“雄大さ”を感じさせられたのは初めてだ。以前エジプトを旅したとき、ルクソールのカルナック神殿の大列柱室をみたときにも似たような思いに捕らわれたが、NYのこの景色はそれを遙かに凌ぐ。このパースペクティヴはNYでしか見られないものだろう。
タイムズ・スクエアは単なるいびつな交差点だが、ここはまるで世界中の大企業のビルボード見本市みたいだ。 ここに看板を出すことがステイタスみたいな。 しかしスクエア周辺は観光客向けの土産物屋など、あまり趣のない店ばかりですぐ飽きてしまった。ミュージカルにも特に興味があるわけではないが、せっかく舞台芸術の中心地の一つであるブロードウェイにいるのだから滞在中にひとつくらいは観てみたい。しかしチケットが結構高い。一席100$くらいする。といっても銀座で歌舞伎を観てもこのくらいはするが。有名な「チケッツ」で買えばものによっては半額にもなるが、当日わざわざここまで来てこの行列に加わるのは時間がもったいない気がする。まぁ、まだ日にちがあるしじっくり何を観るか考えよう。ミッドタウンを東に向かいロックフェラー・センターに入ってみる。晴海のトリトン・スクエアみたいな複合ビジネス施設のハシリだと思うと興味深いが、所詮ただのビル群なので特に面 白くはない。随所に見られる彫刻などの装飾もあまり好みじゃない。5番街に出て、セント・パトリック教会のファサードを眺めつつ北上する。この近所に「MOMA」があるはずだが、今は拡張工事中で閉まっているそうだ。せっかくNYに来たのにMOMA所蔵の近代絵画の名作達を観れないのは口惜しいが、NYには滞在中に見切れないほどのミュージアムがあるから問題はないだろう。「Louis Vuitton」や「Henri Bendel」など名だたるブランド・ショップを(当然)素通りし、トランプ・タワーに入ってみた。ここが観光スポットなのかどうかは定かではないが、前に何かの雑誌で“成金趣味の極致”と揶揄されていのが記憶にあったのだ。別 に成金趣味が好きなわけではないが、時折ニュースなどで見かけるオーナーのドナルド・トランプ氏のあまりにベタな成金姿にある種のキッチュな興味を覚えたからかもしれない。タワーに入ってみると期待したほど悪趣味ではなくガッカリした。確かに金色の壁を流れ落ちる滝などは下品な感じだが、この程度では東京モンは驚きません。脚も疲れたのでタワー内のスタバでしばし休息。値段も味も東京と変わらない(当たり前か)。ラテを飲みながら改めてガイドブックをじっくり読んでみた。これからは大体その日に何処に行くか見当をつけておいた方が良さそうだ。あてもなくぶらつくにはこの街は大きすぎる。時計を見るとそろそろ待ち合わせの場所に向かった方が良さそうだった。
デザイン学校時代の友人であるHと会うのは3年振りくらいになる。 卒業後大半の友達は何らかの仕事に就いているが、Hは更にデザインを学ぶためにNYに渡り、もう8年もここに住んでいる。それからはときどき友達づてに消息を聞く程度だったが、どうやらこちらの大学でかなり優秀な成績を修めているそうだ。彼がいる間にNYを訪れる用事ができたのも何かの縁だから、これを機に彼のことをもっと知ってみたい気もあった。待ち合わせの場所は彼の通 う大学で、Fashon Institute of Technology (通称F.I.T.)というカルヴァン・クラインも卒業した有名な学校だそうだ。場所はチェルシーの七番街沿いの一角を占めている。ちょっと離れただけだが、この辺りの雰囲気はミッドタウンとはかなり違う。もっと庶民的というか生活の臭いのする地域だ。時間通 りに学校の玄関前に行くと見覚えのある姿が目に入った。そうそうHはあんなカンジだったな、全然変わってないな、とまず思った。しかし誰か年上の東洋人とで話しているHの英語はビックリするほど流暢だ。僕に気づき「ちょっと待ってて」と言うので、彼らの話が終わるのを待つ。話の相手は学校の教授で日本人だそうだ。Hの話では贔屓していると誤解されないよう、みんなの前では英語で話すことにしているそうだ。次々と玄関から生徒が出てくるが、結構アジア系が多く、それも日本人らしい生徒もたくさんいた。話が終わったHと改めて「久しぶり〜」を交換。Hの学校は今日が学年末で、昨日までは課題制作で地獄のような忙しさだったと言う。これからはしばらくヒマなので色々付き合ってくれるとのこと、嬉しい限りだ。やはり外国の大都市では地元の人間に知り合いがいるといないとでは滞在の楽しみが全く違ってくる。地方と違って人間が幾分ドライなのを感じつつあったところなので、かなりホッとした。Hは同じクラスの日本人の女の子と台湾人の男性を紹介してくれた。女の子はM子といって、22歳。男友達の方が今回僕を泊めてくれるヴィンセントだということだ。 ヴィンセントは背が高く、体つきも大きいなかなかいい男だ。ちょっとクールそうにも見える。軽く挨拶を交わした後、お腹が減ったので早速みんなで食事に行こうということになった。Hが何を食べたいか聞くので「いままでロクなものを食べてないから、美味しければ何でもいい」と答えた。すると彼らは即「じゃアジア系だな」となり、韓国人経営の焼肉屋に決まった。 どうやらNYでも美味しいのはやはりアジア系のレストランらしい。 とりあえず荷物を取りにホテルまで付き合ってもらい、それからタクシーを捕まえてコリアン・タウンに向かった。〈つづく、と思う〉