〜 New York City 〜

●2003年5月 ニューヨーク滞在記

第二日目 タイム・ライフ・ビルディング

 昨晩は長旅の疲れもあってよく寝れた。天気もいい。さっそく外へ出てNY見物と行きたいところだが、今日はそうはいかない。なにしろ3時から今回の旅行の最大の用事が控えているのだ。 用というのは自分がやってる仕事の分野で第一人者と目される人物との会合だ。彼のことはもう何年も前から知っていた。世界的なニュース雑誌『タイム』(赤い縁取りのやつね)で彼の作品を見て感銘を受けて以来、同誌上で彼のクレジットのある作品は欠かさず見てきた。 それが最近ふとしたことから彼のメール・アドレスを知り、思いきって連絡してみたのだ。 彼はとても気さくな人物で、是非会って話を聞きたいという見知らぬ日本人の願いを快く承諾してくれた。 それまで僕は彼の作品以外は、彼がどんな人物かは全く知らなかったが、作品から受ける印象に違わず静かで理知的な人物のようだった。

  とりあえず朝食を取りに外へ出た。まだ出勤時間には早いらしく、道を歩く人影もまばらだ。道路のマンホールから蒸気が立ちのぼっている。前から不思議だったが、何故温泉でも無いのにNYのマンホールからは湯気が立つのだろうか。五月末にしてはNYはかなり寒かったからだろうか。そうそう時間もないのですぐ目についたダイナーに入ってみる。ブロード・ウェイと51丁目の交差点にあるその店は「スターダスト・ダイナー」という50年代風のいかにもアメリカンな雰囲気だ。すぐ隣の劇場の演目にちなんだ内装のようだが、その『スターダスト』というミュージカルを知らないのでよくわからない。客は僕の他にはアジア系の若者が3人いるだけで、店の一角ではなにやら内装工事をしている。この店が人気が無いのか、ニューヨーカーの朝が思いのほか遅いのか。いかにもなダイナーなので、僕もいかにもなオーダーをしてみた。ベーコン・エッグとチーズ・ベーグルとコーヒー。結構高いな〜と思っていたら、出された皿の大きさを見て納得&後悔。僕はメニューの大事な所を読み落としていて、ベーコンにはパンケーキがもれなく付いてくるのだった。しかもたくさん。これならベーグルはいらなかった。なんとかたいらげたけど朝からヘヴィーだ。しかしベーコンを焦げる程硬く焼くってのはどうなんだろう。こっちの人はこれが美味しいんだろうけど・・。ちなみにコーヒーは噂通 りマズかった。スターバックスがアメリカで大成功したのは、日本以上に必然的なことだったんだと思った。こんな感じでNY最初の外食は白人のオバサン・ウエイトレスの無愛想さも手伝って余りいい印象を残さずに終わってしまった。

  やや不愉快な朝食を済ませて部屋に戻ると、
数時間後に迫っている会合に向けた準備を始めた。例によって東京でろくな準備をしていなかったため、色々やらなくてはいけないことがあった。こっちの英語力が不自由な以上、ある程度の準備が必要だ。質問したいことなどを整理し、英語にして手帳にメモしておく。そして彼に見せるつもりの自分の作品や、彼の作品のスクラップ・ブックなどを用意する。 そうこうしている内に約束の時間が迫ってきた。遅れないように少し余裕を持ってホテルを出た。 会合の場所である「タイム・ライフ・ビルディング」はホテルから2ブロック先にある。50丁目をまっすぐ東に歩いて5分もかからなかった。我ながらベストな立地のホテルをよく見つけたな、と悦に入る。予想外に早く着いてしまったので、しばらくビルの周りを観察する。ラジオ・シティ・ミュージック・ホールの向いで、ロックフェラー・センターの一角に位 置するこのビルはまさにマンハッタンの超一等地に建っていた。48階建てのわりと新しめのビルだ(といっても1959年築)。外観からそれが出版社だと解るような印はない。かろうじて窓に貼ってある雑誌のロゴからそれと解るが、一見ふつうのオフィス・ビルと変わらない。頃合を見てガラス張りの入り口を抜けると、日本の出版社とは違って真剣な雰囲気を漂わせたセキュリティ・チェックがあった。そこを無事クリアしてレセプションに向かう。さすが世界的出版社、来客が大勢並んでいる。自分の番が来て、受付の黒人のお姉さんにアポイントメントを告げると、彼のオフィスに内線をかけ確認してから、僕に一日限りの入館許可証をくれた。それをジャケットのポケットに着け、エレベータで彼の部屋がある24階に上昇していく。緊張はしなかったが、いざ彼に会うとなるとなんか不思議な感じがしてきた。

  24階に到着しエレベーターを降りると、なんとそこには彼がもう待ってくれていた。彼はもう40半ばだろうか、自分よりひとまわり以上年上の彼がわざわざ出迎えてくれたことに、ちょっとビックリした。だって日本じゃありえないもんね。こういう礼儀みたいなものって日本と西洋じゃ全く違うから、ときどきどう反応していいものか迷うこともあるけど、今回は彼にオミヤゲを持参しておいて良かったと思った。彼の後についてしばらく廊下を歩いて彼の個室へと向かう。広いフロアといっても日本のオフィスみたいに大部屋じゃなく個室の連続なので、一体どのくらいの人間がこのフロアで働いているのかはちょっと分からない。 途中で何人か彼の同僚に出くわし簡単に挨拶を交わした後、彼の仕事部屋に到着した。 思ったより彼の部屋は狭かった。『タイム』誌のインフォグラフィック・セクションにおいて彼はチーフ的な立場にあるはずだが、部屋にはそんな管理職めいた雰囲気は微塵も無い。コンピュータと大量 の資料に埋もれたまさに現役デザイナーの仕事場といった感じだった。

  持ってきたオミヤゲというのは広重の『東海道五十六次』の印刷レプリカだ。馬に人参、猫に鰹節、ガイジンには浮世絵というくらいに定番な感じだが、浮世絵のマスターピースだし昔の旅行ガイドという意味では彼も仕事柄興味を持つんじゃないかと思ったのだ。ともかくオミヤゲを話の糸口としてそれから2時間以上にわたり、僕等はお互いの仕事のことについて話し合った。といっても主に僕が彼を質問攻めにしていたんだけど。火曜は比較的ヒマな日だそうだが、それにしても時間を気にすることなく彼はとてもフレンドリーに僕の相手をしてくれた。同じような仕事をしているとはいえ彼はこの分野でナンバー・ワンとも言えるデザイナー、彼にとっては僕から得るものなど殆どないことを考えると彼の親切さには頭が下がる思いだ。言うまでもなく僕にとっては計り知れず有意義な会合だった。米国でのインフォグラフィックの歴史や現状を生で感じ、世界でも最高といえるタイム誌の制作環境を垣間見ることもできた。会合の内容は95%専門的な話だったのでここで詳しくは書かないが、『タイム』と『ニューズウィーク』のライバル意識とか、「アフガン〜イラク戦争」報道の際の制作裏話など面 白い話も色々と聞けた。直に会って話をする彼の印象は会う前に抱いていたものと少しも変わらず、とても温厚で優しい感じだった。フレンドリーだがアメリカ人にしては控えめなくらいで、自分の仕事には強固なプライドを持っているが不必要な虚勢は張らないタイプのようだ。ある意味日本の職人タイプとでも言おうか、とにかくとても穏やかで相手を緊張させない人物だった。日も傾き、話も一通 り出尽くしたのでそろそろおいとますることにした。部屋を出るとフロアに人はなく、静まりかえっている。いくらヒマな日とはいえ世界に冠たるタイム社が9時5時でやっているとは思えなかったが、なんでも何かのパーティーが階下でやってるらしく彼もこれから顔を出すそうだ。

  最初と同じくエレベーター・ホールまで彼の見送りを受け、僕はタイム・ライフ社を後にした。予想以上に長く話ができたのだが、これでもう終わりかと思うと少し寂しかった。もう彼と会うことはないかもしれないという思いと、今回のNY旅行のメイン・イベントが早くも終わってしまったことも僕の気持ちを少し沈ませた。 ともあれホテルに帰った僕は近所のデリで夕食を買い込み、部屋でビールを飲みながら今日の会合を思い出してみた。冷たいビールを一口飲む毎に張りつめていた神経が解きほぐされるのを感じる。最初はこの会合が自分の仕事の肥やしになれば、という思いがあったのは確かだが、今はこの経験が何かに役立つかどうかはどうでもいい気分になっていた。今日は楽しく刺激的な一日だった。それだけで十分満足だった。

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