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 鶴岡城の縄張りや、城下の町割りをするときにとられたのが‘山当て’という手法だったのはよく知られた話です。致道博物館前の二の丸外掘(変な建物が建ってそんな景観、‘文化’さえも破壊されてしまいましたが)だとか川端通りなどが知られていますね。大督寺前からの湯田川街道も塔の山を‘山当て’して作られた形跡があります。

 ちょっと似ていますが、これはもっと時代をさかのぼった話です。

 鶴岡市井岡地区に 式内社遠賀神社があります。
大字井岡字塔の腰(新山口)に塔の山という小高い丘が1970年までありました。
 遠賀神社から塔の山の線を結ぶと羽黒山に到る。塔の腰までは今でも神社から参道が延びていて、更に直線の平安末ごろ(まで使われていた)の道路が最近発掘されています。
 金峰山頂から塔の山までの直線を延ばしたところに現在の中央公民館があり、中世までは下の山王神社があったということです。風水で言う龍穴、気が山脈をうねり流れて来て(龍脈)山脈が途切れ一旦地面に潜り再び地表に表れる所、hot spot、言うまでもなく聖地です。

井岡遠賀社から羽黒山頂の直線上に遠賀原遠賀社がある。

金峰山山頂から塔の山の線の延長上に元の下日枝社(山王社)がある。

井岡遠賀社上の日枝社(山王社)は東西線上にある。

井岡遠賀社上の日枝社(山王社)の線を一辺とした正三角形を作るとひとつの頂点は元の下日枝社(山王社)にあたる。

元の下日枝社(山王社)上日枝社(山王社)を一辺にした三角形を作ると頂点は現在の下日枝社(山王社)にあたる。  (多少の誤差がある、正確な位置は旧内川河川内になるため付近の微高地にしたものか?)

井岡遠賀社森片の森山白山一本杉は正三角形を作る。

元の下山王社井岡遠賀社・白山一本杉は等距離にある。

金峰山青龍寺観音堂(現中の宮)から井岡遠賀社上日枝社(山王社)、湯田川由豆左売社はそれぞれ等距離である。(これは見通しがきかないので少し怪しい)

 下日枝神社の位置を元の所から現在地に移転させたのは最上氏で、鶴岡城の鬼門に当てたのだそうですが(位置は偶然かもしれませんが)、そのために気脈も城下を通る事になり庄内藩が発展してきたといえるかもしれません。

三角地図

 現在は塔の山も切り崩され宅地になってしまって龍脈も途切れてしまっています。
 鶴岡市の都市計画の展望がなさすぎなのは塔の山が崩され 気の流れが変わってしまってからのようで、将来が心配です。

 今はなき 塔の山を 鑑みて 想いやらるは 市政のこの先 (COBO)

 地形によって多少の誤差は出てしまうが、さて、この話あなたはどう思いますか?
誤差がありすぎて偶然とするか、それとも意図的に神社の位置を決めたと考えるか。そのころは「鏡」を使って測量(?)したらしいので、見通しがいいことが条件になります。遮蔽物になる建物もなく、空気もきれいだったのでしょう。神社には鏡が祀られていますし、三種の神器にも鏡が入っていますね。
 このような古代の方位線、ホーリーラインは日本中あちらこちらで発見されていますが、庄内にもまだまだこのような面白い線がまだ隠されているのではないかと思われます。2万5千分の1地図と定規、コンパスであなたも探してみませんか? 発見できたら是非お知らせ下さい。

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参考文献:「神社配置から古代史を読む」三橋一夫著 六興出版 1986年
     「万葉方位線の発見」向井鞠夫著 六興出版 1986年(残念ながら六興出版はなくなってしまいました。)
     「神社の系譜」なぜそこにあるのか 宮本健次著 光文社(新書)2006年 



ネットでは 古代 方位線 神社 等で検索して下さい。


東西南北と三角定規の斜辺に託された古代史 http://blogs.yahoo.co.jp/angouyamanoue
山上憶良 様のブログです。

古代の測量に関連するページ  http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-0kodainosokuryou.htm

都筑の郷 方位線 (主に横浜市内)http://home.s08.itscom.net/wtnb36/houi.html

方位線と歴史  http://hw001.gate01.com/sangatu/index.htm#houisentorekisi

それぞれすばらしいサイトです。
また、大分あたりでもかなりの報告があるようです。

時代が違うと思うのですが、鶴岡市内の八幡神社間でも聖三角形(二等辺三角形など)を作るという情報がありました。まだまだありそうですね。
参考文献:「大江戸魔法陣」「東京魔法陣」加門七海著 河出書房新社 1994年


写真は塔の山 1967年頃 住職撮影
左は山頂より湯田川街道鶴岡方面、道路が塔のあたりに山当てされていたのがよく解る。
右は左に写っている道路カーブあたりから、右端あたりが飴嘗め地蔵。
塔の山2 塔の山1
現在はカーブのあたりの道路を横切る線上に
山形自動車道、手前に鶴岡南バイパスが走っています。

下は1948年米軍撮影の写真です。 中央わずか右、ゆるいS字カーブの下にあるいびつな形をした山。畑の段が等高線の様にも見えます。何かの形に似ていませんか? 左下(南西)方向に小さい丘が3つ並んでいます。一番左下の形は他の写真や地図では方形に見えるものがあります。