朝見浄水場 |
朝見浄水場は、まだ別府が市制をとる前、町制の時代の大正6年に朝見川と乙原川を水源に供給を開始して以来90年あまりの歴史を持ちます。今回、紹介したかったことは別府の水源が大分川からの取水で成立っている事でしたが、建築物にも歴史を語るものがあり自身驚きでした。子どもの頃花見もした思い出の場所、市内の75%の水を供給している朝見浄水場を知っていただければと思います。
朝見浄水場は、町制時代の大正6年に、朝見川の支流である乙原川・鮎返川を水源として給水を開始。 創設時は計画給水人口25,000人、計画一日給水量は2,800㎥でしたが、7期にわたる拡張工事で現在、市内の75%に給水する能力を有する。 しかし、このような変遷をたどるなか、昭和21年5月、第2次世界大戦終了に伴い進駐軍の命令により別府市の二大水源の一つ、鮎返水源地を接収しこの地にダムを建設、水源・ろ過施設・その他の付帯施設を国の管轄に属し、進駐軍への給水・維持管理を別府市が行うこととなった。 これにより三分の一の給水量を失うこととなり、暫定的に朝見川からの節水を行ったが水質の悪さにより中止、温水地区に水源を求めた。
⇒図はオンマウスで拡大されます。 さらなる水源の安定化を図るため、昭和30年代後半から40年代にかけて大分川からの取水が行われるようになった。 水源表でわかるように、現在大部分が大分川からの取水で賄われてい。鮎返・乙原ダムの水源は大分川の取水制限時のため貯水されている。このため別府市は年間かなりの額を大分県に負担金として納入している。上図は大分川からの取水経路を示したものです。 『別府市水道事業経営懇話会資料より』
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