別府市誕生


近世の別府市の村々がどのような変遷をたどって別府市になっていったのでしょうか。亀川や・鉄輪の年配者は「別府に行く」と言いませんか。その訳は。

*時代分類や村名等、大まかな時代背景です参考程度に見てください。

分割されていた別府


大友義統の改易後、豊後は直轄地(太閤蔵入地)となった。秀吉は検地を行ない別府地方は数年の変遷後、細川忠興の領地となり「石垣原の戦い」を迎える。
現在、別府に属する村里は1647年当時、右の表のような支配下にり小さく分割されていた。
その後、1650年頃から、鶴見・立石・内成・南端村を除く地域の村々は幕府直轄地(天領)となっていく。
別府湾に面した村々は通称「横灘」と呼ばれ横灘17カ村は浜脇・田野口・朝見・別府・立石・南石垣の南組と中石垣・北石垣・南鉄輪・北鉄輪・野田・亀川・平田・古市・内竈・小坂・小浦の北組に分かれ南組は別府村庄屋が北組は亀川村庄屋が大庄屋となり村方支配のかなめとなっていた。こうした体制が幕末まで続き、明治17年の郡区町村編成法により500戸を目安に連合村体制が敷かれ明治22年町村制施行され現在に至る。
領主 入封 別府に属す る村里
小浦村 小坂村 竈門村
松平 左近将監 1634 古市村 亀川村 平田村
野田村
松平 忠直(一伯) 1623 鉄輪村 北石垣村
小川 九衛門 1633 中石垣村 東畑村 楻山村
小川 藤左衛門 山野口村 天間村
筑紫 右近 1638 南石垣村 別府村 浜脇村
小野小平村
久留島 丹波守 1601 鶴見村 北中村
木下 伊賀守 1601 南端村
日根野 織部正 1934 内成村
萩原 中将 1601 立石村

江戸時代


江戸初期 江戸中期~  明治22年  ~明治45年   大正時代  ~昭和19年  ~昭和29年 現在
南端村 南端村 南端村  南端村 日出町  昭和31年
8月1日
一部を別府市に編入
日出町
天間村  別府市
小野小平村 別府村 別府村  明治26年
4月11日
町制 別府町
  明治39
 4月1日 別府町
大正13年
4月1日
 市制 
 別府市
別府市
別府村
浜脇村 朝見村 浜脇村  明治26年
4月11日
 町制 浜脇町
田野口村
浜脇村
野田村 野田村 御越村  明治34年11月1日 
  町制 御越町
 大正14年
1月1日
改称
亀川町
平田村 平田村
亀川村 亀川村
古市村 古市村
竈門村 竈門村
小坂村 小坂村
小浦村 小浦村
中石垣村 中石垣村 石垣村 石垣村
南石垣村 南石垣村
北石垣村 北石垣村
立石村 立石村
揑山村 揑山村 東山村
山野口村 山野口村
東畑村 東畑村
椿村
鶴見村 北中村 朝日村 朝日村 
原中村
鶴見村
鉄輪村 北鉄輪村
南鉄輪村
内成村 内成村 石城川村 石城川村 挟間町  昭和31年
8月1日
一部を別府市に編入

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