ふいが城


県道、別府・安心院線の明礬を通って湯山に抜ける途中に、高速道路と立体交差する場所がある。高速道路に分断される形で小高い丘陵地帯がある。そこに存在したと言われる「ふいが城」。大分道の建設で主要部分は壊されているが、工事に先立ち調査が行われた。


ふいが城


この地には古来より豊前道の支道や花棚道が通っていた、交通の要所であった。
現在この城址の地名は別府市大字野田字フイガ城となっている。
城は山頂部の東側に帯状の曲輪が三段形成されている。堀は6m程の幅で、深さは3m程あったと調査で確認されている。
「ふがい城」は交通の要として豊前方面のおさえとして存在した可能性が強い。大友氏滅亡とともに廃城となった。

 曲輪(くるわ)とは城郭内にある一定区画を分かつ区域である。防御陣地・建造物を建てる敷地・兵の駐屯施設として、城郭の最重要施設である。中世の山城では多数の小規模な曲輪をもつものもある。

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