別府の古墳


古墳時代の別府には、石垣地区・春木地区を中心に農耕生活を送る氏族と朝見川流域に経済基盤を持つ氏族が住んでいたと考えられています。

鬼の岩屋古墳

鬼の岩屋古墳は市内北石垣(上人小学校敷地・1号墳・隣接地・2号墳)に所在する、二基の横穴式石室を持つ古墳で、唯一市内では国の史跡に指定されています。
1号墳は直径24mの円墳、2号墳は約37mの円墳です。現在は浸食や宅地造成で現有する規模はやや小さくなっています。6世紀後半の地元の豪族の墓として造られたものとされています。


1号墳測量図 1号墳内部 2号墳測量図

「鬼の岩屋」の由来とは
全国に「鬼の岩屋」と呼ばれる古墳群は存在します。岩で石室をを作った内部は、「鬼でなければこれほどの石室をつくる力」はないから生まれた。


1号墳



2号墳


太郎塚・次郎塚古墳

実相寺遺跡には「太郎塚」・「次郎塚」、東南に少し離れた場所に「鷹の塚」があります。名前の由来は「百合若伝説」由来しているとおもわれます。
これらの古墳は、現状で直径15m(当時は27m程と推測)ほどの円墳2基で構成され、古墳時代後期の築造と推定されています。また、太郎塚古墳からは、わが国でも出土例が少ない馬具、金銅製唐草文透彫鏡板(県指定重要文化財)が出土し、地域の古墳時代を考える上で非常に重要な古墳です。

石棺の墓石「実相寺遺跡」

「百合若伝説に由来」

戦いに勝った後、信頼している別府太郎ら部下に裏切られ島に置き去りにされる百合若。別府太郎らは帰国後、天子に百合若は病没したという虚偽の報告をして国司の栄誉を得た。

夫を失った姫に太郎は求婚を迫るが百合若の死を信じられぬ姫は手紙を書き、鷹の緑丸の脚に結びつけて空に放した。荷重で瀕死の状態になりながら百合若の元に辿り着き、事を知った百合若は壱岐の船を掴まえ帰還すると正体を隠して太郎のもとに仕える。

やがてその時が来て、成り行きで得意の弓術を披露するチャンスを得た百合若は自分を裏切った太郎を射抜き復讐を果たす。

その後百合若は春日姫と涙の再会を果たし、国司の位も取り戻した。




太郎塚


次郎塚


鷹の塚(緑丸塚)


浜脇・朝見横穴古墳群

市内の浜脇地区に横穴古墳が存在する。平尾・芝尾地区には24基・金毘羅山には26基が確認されている。
春木地区の農耕部族と浜脇地区の海人族の生活習慣の違いと、経済力(人員の動員力)等により海に迫られた地形から丘陵地帯に墓地を求めたと考えられます。
現状は、危険防止の観点から入口は閉鎖されています。浜脇「修福寺」に出土した言われている品が保存されています。


芝尾地区の横穴


金毘羅山


芝尾地区山側面
「参考」
別府市埋蔵文化財報告書Ⅰ
別府市誌


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