油屋熊八翁 |
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」の名言で別府観光の祖、油屋熊八です。戦後別府観光の最大の功労者として頌徳碑も建立されている。熊八の功績と彼の実像は。 しっとこを開くにあたり最初のページとして登場したかったのですが、遅くなりました。
熊八は別府を訪れると小さな旅館、「亀の井旅館」を創業する。木造の建築の二階部分を借り受けて開業したものだった。 大正に入ると旅館経営も軌道に乗り、広く別府を宣伝するため「別府宣伝協会」を立ち上げる。大正13年、市制施行に伴い「別府温泉宣伝隊」と改称した。 大正14年、富士山頂に「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」の標柱をたてる。
大正9年、昭和天皇が陸軍の演習視察のため大分県を訪問された際、帰路、別府を訪問され地獄見学をされる。当時、現在の通称「鉄輪線」はなく、亀川方面の地獄へ行くためには国道に下り、亀川新川を上がる道を進むことになっていたが、このことを契機に郊外の循環道路の整備が浮上し大正10年、現在の鉄輪線の道路の竣工しなる。
つづく |