道しるべ


道を進むと、分岐点に出会います。どちらに進むか大切な道しるべ。別府に残る「道しるべ」を探しました。
思いを寄せて故郷を再考。

別府を通っていた街道

学べば学ぶほど奥の深い世界、ちょつとここらでまとめです
細かくすればもっと分類できますが、時代背景と中世をまとめるにあたり四分類としました。


豊前街道
(旧小倉街道)


小倉から府内に通じる幹線道路
のうばる道
(豊前街道支道)


現在の国道500号線に沿った道
花棚道

明礬から、鍋山の花棚峠経て玖珠に至る
永山布政所支道

堀田、鳥居を経て捏山で永山政所道に合流
朝見から六枚屏風・おじか・東山を経て合流
鳥越・内成りを経由して合流


日暮庵
その1
  市役所下の富士見通り面した、天満一区公民館は別府で一二を競う富豪、別府村米屋堀七左衛門が1822年に建てた日暮庵の跡地です。その跡地が公民館になり、道標があった。
この地は交通の要所で幕府より 指示された大庄屋、堀助之丞と有力者、油屋順策が建立した道標の一つです。「右 日出・杵築道」『豊前街道方面』、「左 のうばる道」「裏に安政七庚甲年」「堀助之丞・油屋順策」と陰刻されている。

『のうばる道』 原、大畑、明礬、十文字(現在の国道500線)経て宇佐へ。途中、荘園あたりから堀田方面へ進むと「永山布政所道支道」とつながり日田方面へ。

現在、道標は道路拡張にともない、市美術館の庭に設置されている。


銭瓶峠
その2
  交通の要所であった銭瓶峠に残る道しるべ。
「北 別府道」「西 ゆふいんみち」「南 どうしり道」「東 府内道」と刻まれている。
別府道は赤松地区を通って別府に至る旧街道。ゆふいん道は山口地区を経由して湯布院に至る永山布政所支道。どうしり道は狭間地区、向の原を経由して府内に至る。府内道は高崎山の中腹を柞原神社方面へ向かい府内へ。


浜脇山家
その3
  偶然見つけた、近世の道しるべ。
(大正末期か、写真だけで引き揚げたので後日調査)
山家区を経て
「右 穴森・鳥超・内成」「左 赤野・赤松・石城川」方面の刻印あり。」
右は「永山布政所支道」に通じる道。左は旧街道を現在の挟間町に通じる道。

石城川の地名があり、石柱もしっかりしていることから、大正時代のものと思われます。

要調査マーク





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