1957年3月20日から開催された別府温泉観光産業大博覧会の目玉施設として建設が構想され、当時の別府市長らが立ち上げた別府観光開発株式会社が建造した。しかし、資金繰りの関係から開幕には間に合わず、閉幕直前の5月10日に完成した。タワー自体は90mの建造物であるが、土台の鉄筋建造の上に立ち地表からは100mの高さ。
タワー六兄弟は、日本の建築構造家・内藤多仲 によって1950年代から1960年代にかけて設計された以下の6つのタワーの総称である。
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名 称 |
兄弟 |
竣工年度 |
高さ(m) |
特記事項 |
名古屋テレビ塔 |
長男 |
1954 |
180.0 |
登録有形文化財 |
通天閣 |
二男 |
1956 |
103.0 |
登録有形文化財 |
別府タワー |
三男 |
1956 |
100.0 |
登録有形文化財 |
さっぽろテレビ塔 |
四男 |
1957 |
147.2 |
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東京タワー |
五男 |
1958 |
332.6 |
正式名称 日本電波塔 |
博多ポートタワー |
六男 |
1964 |
100.0 |
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名古屋テレビ塔 |
通天閣 |
別府タワー |
さっぽろテレビ塔 |
東京タワー |
博多ポートタワー |
このタワーは当初電波塔としての利用が予定されていたが、大分県下の各放送局は別府市の十文字原高原に十文字原テレビ・FM放送所(1959年開局、標高469m)を建設したため、その役割を果たすことはできなかった。しかし、1960年代に入ると年間100万人に及ぶ観光客と修学旅行生で賑わい、観光スポットとなった。展望階にはあすの天気を知らせる三つのネオンが三段に点灯されていた。
1970年代に入ると、隣接する国道10号の拡幅工事により敷地の一部が削られるなどして入場者数が減少。1987年、大きな収入源だった広告ネオンサイン(松下電器・ナショナ)の契約が打ち切られたため、経営危機に陥り解体撤去も検討されたが、翌1988年、タイホーレジャーグループが買収し、解体を免れた。広告ネオンサインは、その後朝日ソーラーを経て、2011年現在はアサヒビールとなっている。
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1956年 |
別府観光開発株式会社設立。 |
1957年 |
観光センターテレビ塔として完成。広告ネオンサインはサッポロビール。 |
1958年 |
広告ネオンサインが松下電器産業(現 パナソニック)に。表示は「ナショナル」。 |
1961年 |
別府タワーに呼称変更。 |
1987年 |
松下電器産業が広告ネオンサインから撤退、経営危機に陥る。 |
1988年 |
タイホーレジャーグループによる買収で経営危機を脱出。広告ネオンサインが朝日ソーラーに。 |
2002年 |
広告ネオンサインがアサヒビールに。 |
2006年 |
翌年に50周年を迎えることを記念し、国の登録有形文化財への登録を申請。 |
2007年 |
登録有形文化財に登録。 |
2010年 |
別府タワーキャラクター「別府三太郎」発表。 |
別府タワーキャラクター「別府三太郎」
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