山王坊日吉神社
 
 神武東征に破れた長髄彦の兄、安日彦を祖先にもつという安東氏の本拠地が十三湊。 11世紀から14世紀にかけて、 宗との貿易で栄え、日本海側随一の港町であった。安東氏は京都の比叡山をまねて山王坊を作り、平泉とならぶ 文化都市を目指したともいわれる。
 かつて、「三千坊」といわれた「山王坊」と場所を同じくして、日吉神社がある。山王坊は、十三湊が我が国でも重要な港湾として賑わった中世の宗教施設として大変な賑わいであった。現在は山麓に「日吉神社」を残すだけだが、昭和55年頃から大規模な発掘調査が行われ、山林に宗教施設の跡がはっきり確認され、建物の礎石、階段跡などが解った。
 日吉神社の鳥居は山王鳥居(合掌鳥居)の一種だが、最上部に笠木のある二重鳥居は珍しい。柱の前後に控柱を設け貫(ぬき)をつけた両部鳥居は神仏混淆の神社に多く見られるようだ。
 
《所在地》   青森県北津軽郡市浦村相内