歴史が物語るその理由!
ライン



津軽半島の北西に、市浦村十三湊がある。十三湊は、安東一族が南部氏との抗争に敗れ、蝦夷地に落ちる嘉吉3年(1443年)まで約400年にわたって繁栄し、東日本最大の商業港として栄えたところです。
歴史的な文献等は、1340年の大津波で十三湊が滅んだ際に無くなったとされておりますが、近年の発掘調査により、その全貌が明らかになりつつあり、発掘の度に新しい発見があり、中世を専門とする歴史家や大学教授等からは高い評価を受けています。
最近では、整然と並んだ住居跡が見つかって当時の文化水準の高さが注目されました。今日までの発掘からも、京都や平泉と同規模の大きさであったことが実証され、中国やインドとの交易も、十三湖ちかくの「山王坊」から出土した青銅製金工飾金具や青磁、白磁等によって裏付けることができます。当時の十三湊は、弁財船と言われた日本海を廻船する「京船」や蝦夷からの「夷船」が出入りし、安東水軍70隻の軍船が常駐し、陸では商家が通りをなし、更に壮大な城塞がそれらを見守っていたという。
十三湊を語るとき、「安東」氏無くして語ることができないほど多くの功績を残し、現在にその名残を伝えている。安東氏の寺社である山王坊・日吉神社拝殿から出土した、鋳銅の聖観音像や壺はメッキが施され、当時の栄華を偲ぶことができます。また、日吉神社跡には大社殿跡が確認され、その規模は京都の大比叡や小比叡に匹敵することがわかり、礎石には南部氏より襲撃を受けた際に大火となった痕跡が今なお残っている。



※今後、さらに史跡の調査を進め紹介していきます。情報がございましたらご連絡ください。

ライン