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C 実存論存在論と芸術作品〜

a. 実論的存在論と芸術作品

 

もっとも善いことは 御身にとっては 全く手に届かぬ事だ それは 生まれなかったこと、存在しないこと、何物でもない事なのだ。

しかし、御身にとって次に善いことは すぐに死ぬことだ。

かれらにとって、最も悪いことは やがて死ぬということであり、次に悪いことは ともかく、いつかは 死ななければならないということである。
(ニーチェ)

 

変化の根拠であるのは 対自の時間であって、時間制を根拠づけるのは 変化であるのではない。

ここで問題なのは 存在が全体的に自己を変形し、過去の中に沈みゆくと同時に、未来に向かって 無から生ずるという存在にとっての必然性である。
(サルトル)

 

*事物的に存在していないものとしての実存と言う意味で、時間性の時熟構造は 現存在の歴史性として露呈する。

*あるものから、あらぬものの出現、そのあらぬものの出現をさして、実存という

 

現存在は 歴史的であると言う命題は 実存論的、存在論的な基礎的陳述であることが確証される。

了解は 存在しうることの存在では無く、事物的に存在していないものとしての実存と言う意味で存在している。

この実存論的存在は 己自身に対して取るべき立場を己自身に即して開示している。

こうした実存範疇の構造を更に、いっそう鋭く捉える事が肝要なのである。さすれば、己自身に即した あなただけの自由さによって、あらぬものが開示してくる。

了解は その時々に 世界内存在としての現存在の完全な開示性に関係するゆえ、了解が己を置き入れる事は 全体としての企投の一つの実存論的な変様なのである。

実存に関係するこの視を 透視性と名付ける。

現象的に十分に眼差しのうちへと入れるためには これらの実存範疇を いっそう具体的に仕上げる必要がある。

了解の完成を解釈と名つける。あらぬものが開示されてくるこの視を透視性と懐けたものが了解であり、己自身になるのである。
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了解されているのは 厳密に解すれば 意味ではなく、存在者なのである。

意味とは あるものの了解可能が その内に保たれている当のもののことなのである。




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