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D 時間と空間の超越
 

技術の同型性は、偶然の個体性を超えていると言うことは たまたまの良き作品と言う事は 評価され難い。

そして、作品に具わる個体性は、その技
術の同型性に縁るものであっても精神的個性となるのである。

心とか頭脳の「内」が一つの精神的世界である所以である、

このような個性的世界を実現する営みは、技術的制作を超えたものとして、創造と呼ぶ他はない。

多様な解釈を通して、どこまでも統一的な有機体であり続けるものであり、その制作品である。(作)

芸術作品は、自己の時間を越えた「現在」を、獲得するのである。

この現在に入って行
く事によって、人間は 強められるのだ。現在が獲得されると 今度は、第三の時間的つながりが表れる、

それは未来に対するつながりである。(芸真)


悪魔が時間的、空間的に主体(存在物)と分離し、両者が二にして一であると言う関係になる場合が典型的な<ものよき>状態である。

外界に定位された超自然的他者と対抗的な抗争関係にあるのは

<分裂病者と悪魔>の場合である。(狂)

 
あらゆる芸術作品には悪魔が加担しているのではないだろうか。―ジッド―

「作品の善を目指す」超越的な目的は<美>であって、中途半端な関わりは一切許容しない。

―種の絶対者なのである。「良心に縛られた」状態、愛に照らし合わせて、殺人が、善であるがゆえに選びとる。―倫理善ではない―

 芸術はそれ自身としては、霊的精神さながらに、時間や空間の境とか、歴史や自然の分かれ目とかを、ことごとく、超越しているものである。

巳自身が一個の普遍たりえている。

<芸術>と<詩>は人間の夢や願望の数々を呼び覚まし、人間の中にある深淵をあばいてみせる。

芸術家はその事を知らないわけではない、どのようにして、この問題と取り組むことになるであろうか、

−明らかにするのは おのれ自身であり、おのれの主観性である。
(芸責)

超越論的現象学の方法を、離れて、この循環と言う事態を あらためて 知の問題として、とらえなおしてみなければ ならないであろう。

決定的に大事な事は循環から抜け出ることではなく、正しい仕方で、その中へ、入って行くことである。

 『もはや……ない』と、過去と現在を比較する関係、すなわち超越がなければならない


人間が一つの存在を破壊されうるものとしてとらえるので、なければならない」(サ)、

「その存在者を認識しつつ、探求することである。

根本的探求とは、その問いが向けられている当のものから邪魔者を取り払いつつ、その当のものを規定することにほかならない」
(ハ114)
 
動と静の相互移行が論じられる。この際、運動と静止が 同時に可能であるような時間は存在しない。

では、運動から静止への変化は いつ起るのか、「私が、別のものになろうとする時点」であると、アウグスチヌスは言う。

彼の追求は 古くして、新しき美、すなはち、時間を超えた美に外ならなっかた。

神と世界を媒介する不変の存在の領域だある。新しい時間と共に、新しい存在を拓くのである。

 
他者と出会うのは"私"が<行動の主体>として、身体的、性的、言語的な実存として、自己を 超越するからであり、

"私"が出会う他者も又、行動の主体として現れる。

そして、世界のうちでこそ、両者は 共存するのである。

自己欺瞞が、成り立つ為には「それが或るところの者であるのではなく、それが、

有らぬ所のもので有り得る。」のでなければならない。

 自己のそとにおいて、自分が、それで有らぬところの存在にまで、すなわち

自分の意味にまで、到らせるのは、人間的超越と相関関係にある。

「現実存在者」の存在の内においてである。(サ)

 
生命体の同一性をうる為には、一定の意識現象(記憶、思考など)を、連続的に所有する事を、確認できねばならない。

後続の私ー段階が、前のそれの継続であり、前のそれを、思い出せる必要がある。

私がこの同一性を失う時、私は 少なくとも私自身に対しては死ぬ。

皮質の移植や人工化は、その皮質の支配下に在る身体からすれば、皮質死と異ならず、精神ないし、人格の死と言う等価な結果をもたらすのである。

この新次元では、精神的に人間らしく生きることが、問われる。

過去を振り返るのでもなく、現在を踏まえて、未来を展望するのでもなく、時間そのものを、超えるのである。

自我の滅却と、時間(空間)の超越と言うニ属性を、もつように思われる。時、空の成層圏を超えるとき<永遠>が開示される。

<永遠>は 人の考え得る最高の輝きの中で<永遠>の扉を、開くであろう。

 マンダラの中心をなす大日如来が、―にして多なる存在であること、さらにいえば、無にして無限なる存在であること、

そして、マンダラとは単なる充満の世界ではなくて、無限の存在と意味を生み出す場所であり、

システムであることがわかる。(か)




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